戦国三大梟雄 斎藤道三 「土岐頼芸公の事」

美濃のマムシ 斎藤道三

斎藤道三(利政)

美濃(岐阜)に入る前は、

山城(京都)の国で油問屋の娘と結婚し、

松波庄五郎という名で、

パフォーマンス油売りをやっていたそうです。

そのパフォーマンスとは、

油を漏斗(じょうご)で注がずに、

銭の穴を通して注ぎます。漏れたらお金はいりません。

というもので、

現代風に言えば、

飛んでくるラーメンの替え玉をキャッチする

「空飛ぶ替え玉」みたいなもんでしょうかー。

???

そのパフォーマンス油売りは評判になり、

油商店「山崎や」は繁盛したようですが、

実はこの松波庄五郎。

現在は、道三の父ではなかったか?という

説もあります。

梟雄の誕生

とりあえず話を進めていくと、

油売りをやめ武士を志した道三は、

美濃の土岐氏の小守護代、

長井長弘の家臣として拾われました。

信長公記には

「与力も付けられ候」とありますので、

長井家で頭角をあらわしたようですが、

信長公記に

「情けを無く、主の頸を切り」とあるように

長井家をのっとり、長井新九郎と名乗ったようです。

下剋上&下剋上

その後、そうでしょうねー。というか、

当然、長井一族と争いになりましたが、

守護家の土岐氏の次男、頼芸の支援を受け

争いに勝つことが出来ました。

その後、道三はまず、

恩義ある土岐頼芸の長男を婿にして毒殺。

次に次男を城に軟禁。

たまらず弟は城から逃げだしたところ

「お腹めさせ候」

ついで頼芸の家老を調略し、

頼芸を美濃から追放。

ついに土岐頼芸は

尾張(おわり)の国の織田信秀(信長の父)

を、頼って落ち延びた。

と、信長公記にはあります。

身の(美濃)終わり(尾張)

「主をきり 聟(むこ)をころすは身のおはり むかしはおさだ今はやましろ」

この歌は

主や婿を殺めるような者は身を滅ぼす。

昔は長田忠致で、今は斎藤山城守道三だ。

という意味ですが、

この歌に出てくる

長田忠致(おさだただむね)は

平清盛との戦いに負けて、

落ち延びる途中の源頼朝の父、

源義朝を一旦は匿いましたが、

恩賞目当てに、

風呂場でだまし討ちにしたそうです。

そのとき、共に逃げていた

娘婿で、いわゆる義理の息子、鎌田政清も、

酒を飲まし、だまし討ちにしています。

その後、恩賞が不服だと騒ぎ、

平清盛の怒りをかいましたが、

処罰を恐れて、

「ウソでーす」(超訳)とベタ降り。

それが理由かはわかりませんが、

その後、父殺しの仇にもかかわらず、

節操なく、息子の源頼朝の挙兵に参加。

「手柄を立てれば美濃と尾張を与える」

と、頼朝から約束を取り付け、

実際に戦功をあげたようですが、

結局、世が治まると

父の仇として身を追われたそうで、

一説には、美濃と尾張の国ではなく

「身の終わり」を与えるという約束だった。

という説もあるようです。

チーン。

権謀術数は戦国の習いとはいえ、

なんとも言い難いものです。

まだまだネタがある斎藤道三ですが、

とりあえず、

今宵はここまでにいたしとうござりまする。