求めよ!さらば与えられん

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大半の宗教学者たちは、

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」

というのは

ただおざなりに祈ることではなく、

キリストが世界に望むことと

自分の願いを一致させることである

と解釈しています。

「神に何かを求める場合、それは神の思し召しに適ったものでなくてはならない。神は、私利私欲に応えてくれる万能のサンタクロースではないのだ」

ザ・シークレットの真実

カレン・ケリー著 早野依子さん訳

引き寄せの法則

いわゆる「引き寄せの法則」の話ですが、

引き寄せの法則のことを

単純に「願えば叶う」と考え、

「叶わないのは願いが足りないから」

などという話も聞きますが、

この法則のことを

「私利私欲を満たす万能のサンタクロース」

だと思っている人は、多いのかもしれませんね。

パワースポットで神頼み

仮に万能のサンタクロースだったとしても

我欲を追求するという、

一時的な満足感を求めるだけの人生の、

どこが面白いのでしょうかねえ?

というより、

「願えば叶うような人生って、味気ないでしょうが。」

と、拙者などは思うわけですよ。

最近「パワースポット」という言葉を、

よく目にするようになりましたが、

先日、神社めぐりが好きな知人が、

またまた県外の神社に参拝してきたそうで、

いろんな話をしてくれました。

その知人、ある神様が好きなようで、

その神様がご神体として、

お祀りされている神社には、

是非ともお伺いして参拝したいとのこと。

「その神様でしたら、確か○○神社が一番古くて、パワースポットで有名ですよー」

と、たまたま知っていた情報を伝えると、

その方が一言、

「だから、異性運がないのかー。」

と、おっしゃったのですが、

みなさんはこの話を読んで、

なにか違和感を感じたでしょうか?

信じる者は救われる

神社めぐりが好きなことについて、

どうこう言っているのではありませんし、

また、神社でお願いごとをすることに、

モノ申したいわけでもなく、

むしろたくさんすればいいと思うのですが、

その方が言われた

「だから、異性運がないのかー。」

という言葉が、拙者には引っかかったんです。

どういうことかというと、

神社めぐりが好きで、

いろんな神社に参拝してきて、

「異性運がない」って

今まで参拝してきた神様に、

失礼な話じゃんと思ったわけです。

その方は結婚を何回かされ、

独身の間にも、いろいろご縁もあったようですが

その方には、すかさず、

「いやー、それはご自分の問題でしょうー。」

「しかも、今までお参りした神様に失礼な話ですよ。」

などと、突っ込んでおきました。

結局、幸せの場所を知らないと・・・

満足感というものは、

生まれては消え、現れては消えていく、

一抹の泡のようなものです。

「満足感を求め続けて生きていく」ことは、

その裏側に「わたしは満たされていない」

という燃料がなければ、

続けていくことはできません。

例えば、快楽や欲望という、

一時的な満足ばかりを求めて、

それらを仮に与えられたとしても、

その裏側に「わたしは満たされていない」

という、燃料があるかぎり、

根本的に満足ができないわけですから、

しばらくすると、また心が渇いてきて、

さらに満足感を求めていくという感じで、

まるで、

借金を返すために、借金をするというような

「渇望地獄」にはまってしまいます。

ですから、

「快楽や欲望などで一時的に苦しさをごまかそうとして、”わたしだけの満足感”という私利私欲を求めて生きている人」だから、

その人に相応しいものを引き寄せた。

それが「渇望地獄」だということであり、

「これ以上借金を増やさない智慧」を

学ぶことができる人であれば、

やがては、借金を返すことができ、

返すことができた人に相応しいものを、

引き寄せることができるという簡単な理屈です。

ようするに、

今のわたしを決めているのは、

環境や他人や、ましてや神様ではなく、

今の環境に「ちょうどいいわたし」です。

そしてそのことが理解できるようになると、

理解できた人に相応しい結果が、

引き寄せられてくるということです。