死と向き合うと見えてくるもの

死は人生の総決算である。

肉体が朽ち果てた後尚残るものは、

肉体が動いている間に為した真実のみである。

即ち不滅なるものを印してゆくのは、

肉体の動いている間だけである。

大死一番とはここの処を悟ることである。

訓言集 森信三さん著

死んだ後に残るもの

肉体が朽ち果てた後に残るものは、

肉体が動いている間に為した真実のみ。

であると、

森信三先生はおっしゃいます。

「真実のみ」が残るということは、

それ以外は残らないということですが、

わたしたちはどうも、

「真実のみ」が残るということを忘れて

日々を生きてはいないでしょうか?

本当に残したいもの

「真実とは不滅のもの」ということですが、

不滅なものといえば、

どんなものが考えられるでしょうか。

例えば、お金や車、地位や名誉などは

死ねば持っていくことができないものであり、

不滅ではありません。

また、江戸っ子は、

「宵越しの銭は持たねえ」

てなもんですから、

お金を残しても、不滅どころか、

あっという間になくなってしまうかもしれません。

死ぬ瞬間のためにできること

みなさんが旅立った後、

「あの人は○○だったよねえ。」というように、

話してもらえるといいなあと思うもの。

もっと言うと、

「旅立っておしまい」ではなく、

語り継いでもらえるもの。

それが本当に、

残したいものではないでしょうか?

人は2回死ぬと言う言葉があります。

それは、肉体が滅んだ時と、

全ての人々から忘れられた時だそうですが、

たとえ忘れられなかったとしても、

なにか不名誉なことで語り継がれて、

人々の記憶に残ってしまうと、

「お願いです。どうか死なせてください。」

というような感じですが、

「いやー、あの人は○○だったからねえ。」

と、言われて、

「情けないやら、恥ずかしいやらと、きっと思ってしまうだろうなー。」

と、いうようなことを残して旅立つのも、

あまり、やりたくはないものですよね。

そのように考えてみると、

「大死一番」と文中にはありますが、

あっしのようなヘタレでも、

「もう少し、しっかりやらんといかんなー。」

と、多少は考えるわけです。

「多少は考える」というところが、

あっしのヘタレっぷりをあらわしていますが、

死から逆算するように人生を見てみると、

逆に今、何に取り組むべきかが見えてくる。

その「何に取り組むべきか」というものが

その人の「真実」ではないかと思いますし、

人は死を見つめることで、

しっかり生きていかねばと考えることができる。

ようなものなのではないかと、

思ったりするわけです。

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