十牛図 探しものはなんですか?

タオの道は世界に行きわたっている。

けれどもそれは

世界じゅう旅して廻ったって

見つかりやしない。

インターネットの「ウインドウ」を

いくら窺きこんだって、分かりゃしない。

遠くへ尋ねてゆけばゆくほど

ますます遠のくんだ、

情報を集めれば集めるほど

ますます分からなくなるんだよ。

逆に、

タオの人ってのは

あちこち出かけないでいて

ちゃんと知っているんだ、

キョトキョト見廻さなくたって

大事なものがみえてるんだ。

だから、ゆったりと

何もしないでいて

とてつもない大きなことが

仕上がっていくんだ ー 君のなかでね。

Taoー老子、加島祥造さん著

十牛図(じゅうぎゅうず)

禅の教えに十牛図というのがあります。

悟りに至る段階をあらわしたものです。

「十牛ズ」という十頭の牛の話ではなく、

牛もしゃべったり、歌ったりはしませんが、

「悟り?興味ないね」と、思われる方も、

十牛図、一度見てみてください。

何かしら、気づきがあるのでは?

と、拙者は思いますよ。

探しものはなんですか?

「タオの道は世界に行きわたっている。」

わけです。

ですが、

「世界じゅう旅しても見つかりやしない。」

わけです。

面白いですね。

あるけど見えないが、見えないけどあるのです。

そしてどうやら、探せば探すほど、

どんどんわからなくなるようなものです。

井上陽水さんの、探しものソングであり、

斉藤由貴さんも歌っていたことがある、

「夢の中へ」の歌詞では、

「探すのをやめたら、見つかるということもよくあるでしょ。だから踊りません?」(超訳)

とありますが、

こうなるとまさに、夢の中ですね。

色即是空 空即是色

あらためて

「夢の中へ」の歌詞を読んでみると、

お悟りの歌のようにも聞こえてきます。

「タオの人は、あちこち出かけないで、ちゃんと知ってる」

と、文中にはありますが、

すべては自分の中にあるもので、

どこかにあるものではないのです。

それと同じように、自分自身とは、

誰かに見つけてもらうものではなく、

自分で探して見つけるものでもなく、

自分で考え創造するものでもないわけですが、

ですが反対に、誰かに見つけてもらったり、

自分で探したり、考え創造したのも

また、自分であるわけで、

「すべて本当の自分?それとも幻?」

というのも自分であり、

「今ここにいる、ありのままの自分」も、

自分であるわけですが、

もう、フフッフーであるわけですね。