老いが怖い人 老いは豊かさという人

このところアンチ・エイジング、

つまり年をとりたくないという人々が

増えてきました。

けれども生きるということは、

年をとること以外の何ものでもありませんから、

年をとることを反価値として拒否するなら、

要するに人生を拒否しているのと

同じことになります。

老いることの拒否とは、人生の拒否です。

そういう人生はどうしたって

苦しみでしかないでしょう。

だって年をとることが嫌だったら、

生きていられませんよ。

人々のそういうおかしな価値観、

それはたぶん拝金教などと同じでしょう。

つまり人生の価値が快楽にあるという

古典的な勘違いですね。

人生のほんとう 池田晶子さん著

古典的なわたし?

「人生の価値が快楽にあるという古典的な勘違い」

という表現は、非常に面白い表現です。

とはいえ、まわりを見渡せば、

そういった「古典的な人」

ばかりではないでしょうか?

何やらエラそうに書いておりますが、

あっしも動物の中の人間の端くれですから、

欲はありますし、また、快楽も追求します。

が・・・、

「生き物ではあるが、人間だ」

とも思いながら、

日々を生きるようにしております、ワン。

快楽サイコー、よろしく。

古来より歴史を紐解いてみると、

人間は、精神性より快楽に引っ張られて、

生きてきた人が多いわけです。

ようするに

「快楽サイコー、よろしく。」な

生き方であるわけです。

ですので、池田さんの言われるように

「人生とは快楽を追求するもの」という

「勘違い」が、脈々と受け継がれ、

ある意味、古典的伝統のようになっていても、

おかしくはないわけです。

それで万事OK!ブログも終了!

で、今日はいいわけですが・・、

「快楽を追求する生き方だけが、人間という生き方か?」

と、問いかけてみると、

「愛サイコー、よろしく。」と、

思うような人もたくさんいると、

あっしは思うわけです。

まー、実際のところ、

地球上に生きる生き物の中で「唯一」

常に他を優先することができる慈愛や、

常に感謝する心を持つことができるのは、

人間だけだと思っておるのですよ。

愛サイコー、よろしく。

常に感謝しながら生きていける人生とは、

特別な何かが起きなくても、幸せな人生です。

そして、そのような人生は、楽しく豊かです。

楽しく豊かな人生を送れている人は、

「満たされている人」であるわけですから、

大人っていうかー、

心に余裕があるもんでしょうねー。

そんな人なら、常に他を思いやる気持ち。

ようするに「愛サイコー、よろしく。」

という心を持つことは容易です。

てことは、

「快楽サイコー、よろしく。」って生き方も

確かにアリだけど、

そればっかりだと・・・、

「愛サイコー、よろしく。」って生き方には

なれませんぜ、旦那。

ということです。

〇今日の結論

「快楽サイコー、よろしく。」だけではなく

「愛サイコー、よろしく。」な心を持つ人が

快楽ばかりを追いかけてないのに、

実は満たされていて、余裕がある大人であり

そして、

「年をとっても大丈夫。だってわたし、満たされてるもん♡」

と、思って生きている。

ということだワン。