「お悟り」とは?

「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。

万法すすみて自己を修証するはさとりなり」

「自己をはこぶ」というは、

自分のほうからすすんでというほどの意であります。

「万法を修証する」とは、

一切の存在、ありとあらゆるものを弁別する

というほどの意であります。

といたしますと、この第一句のいうところは、

「一切の存在のありようを、自分のほうからすすんで、あれはこうであろう、これはこうであろうという具合に心を動かすことは迷いなのだ」

ということであります。

その一句につづいて、

その第二句はつぎのように記されています。

「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」

つまり、こんどは、一切の存在が、

そちらのほうから現れてきて、

自己を気付かせてくれるのが、

それがすなわち「さとり」であるといっております。

ひとつ、この第二句のいうところを、

じっくりと思いめぐらして

味わっていただきたいと思うのであります。

釈尊のさとり 増谷文雄さん著

自己をはこびて万法を修証するを迷とす。

「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」

道元禅師の説かれた一節です。

わたしたちは、

いい暮らしをしようと思ったり、

有名になろうと思い勉強をして、

学んだ智を誇ったり、

学んで得た環境を誇ったりします。

そして「おまけ」として、

今はまだ、なることができていないけど、

そんな人を目指してる。という人もいます。

勉強するのはかまいませんが、

そもそも勉強とは

己を磨き向上させ、

ひいては周りの人を手伝うためにするもんです。

ですが、そういう人の場合、

勉強することは己の欲のためですから、

もし、勉強して偉くなったなら、

高慢や驕り高ぶりにならぬよう、

注意が必要です。

人間は驕り高ぶると、己こそが正しいと考え、

その決断を人に強要したりするものですが、

道元禅師は

「それ全然偉くないよ、迷ってるだけだよ」

と、おっしゃるわけです。

万法すすみて自己を修証するはさとりなり

仏教の教えのひとつに、

諸法無我というのがあります。

「諸法は無我である。」

ざっくりと言えば、

わたしという確かな「我」というものは

どこにも無い。

わたしという存在は、

様々な縁と因によって、たまたま有るだけ。

というような意味ですが、

それを「わたしが」今まで

頑張って生きてきたなどと勘違いするのが、

先ほど書いた

いい暮らしをしようと思ったり、

有名になろうと思い勉強をして、

学んだ智を誇ったり、

学んで得た環境を誇る人たちと

その付録の人たちです。

道元禅師は、

目的のものを得ることが出来たのは、

君だけの力じゃないよ。

君も頑張ったけど、君だけの力じゃないよ。

とおっしゃるわけです。

そして「さとり」とは

「一切の存在が、そちらのほうから現れてきて、自己を気付かせてくれる」

ものであり、

「俺がこの手で掴み取ってやる。」

というものじゃないんだよ。

とおっしゃるわけです。

欲人から見た「賢さ」と

欲を離れた人から見た「賢さ」は、

まるで正反対であり、

どんな賢い人になろうとしているかで、

その人の成熟度が理解できますが、

そして増谷先生は、この第二句を、

「じっくりと思いめぐらして味わっていただきたい。」

と、おっしゃっています。

いくら「賢い」わたしであっても

「俺がこの手で」と思いたいのが、

人間というものかもしれませんが、

わたしたち人間は、

どうして人間として生まれてきたのか?

どうして呼吸ができているのか?

なぜ心臓は動いてくれているのか?

ということを、実際に理解したり、

コントロールすることだってできません。

「俺がこの手で」掴み取ることができたのは

例えばそれは、体があったおかげです。

そしてその体は、ご両親がいなければ、

今ここになかったものです。

にもかかわらず

「俺だけの力」「わたしが頑張った」と

生きてしまうのが人間なのですが、

宇宙の法則から見れば、

俺様やあなた様の賢さなど、

なんとも感じないものです。

「一切の存在が、そちらのほうから現れてきて、自己を気付かせてくれるのが、それがすなわち、さとりである」

と、増谷先生はおっしゃいますが、

ようするに「おさとり」という

本当の智慧を持つ賢者の世界は、

我欲や、俺の力だという、

小さなことに目を向けていては

永遠にたどり着かない世界であり、

「俺が、私が頑張ったから。」という

まわりの力に気づくことができず、

まわりの力に感謝もできないような、

己の愚かさに気づくことができない、

本物の愚か者では、

扉は永久に開かない世界なのです。