一流と二流のお話し

「二流の人間に気をつける」

本当にすぐれたものが無視され、

二流のものが高く評価されることがあると、

ゲーテは警告する。

「人々は、自分でできることだけを認め、賞賛するものなのだ。ある種の人々は、二流程度のもので生計を立てている」

彼らは詭弁によって

非難に値するものを見つけだしてこきおろし、

自分たちが賞賛する二流程度のものを立派にみせようとする。

賢者は、そのくだらなさを見抜いている。

ゲーテに学ぶ 賢者の知恵

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 適菜収さん編著

本当に優れたものが無視される

本当にすぐれたものが無視され、

二流のものが高く評価されることがある。

と、文中にありますが、

これはある意味、仕方がないことかもしれません。

「類は友を呼ぶ」「英雄は英雄を知る」

という言葉があるように、

一流が一流だとわかるのなら、すなわち、その人も一流。

ということになるわけですから。

世に、一流の人物と二流の人物、どちらが多いのか?

ということは簡単にわかりますが、

二流のものが高く評価されるということは、

それだけ二流の人物が多い。

という証明になるわけです。

知らないものは、頭に思い浮かばない

人間は、自分が見える範囲でしか、

考えたり、理解したりすることは難しいものです。

そしてそれは、人によって違うということはなく、

わたしもみなさんも、すべての人がそうです。

ですから、人は正しい方向に向かって学び、

正しく視野を広げていくことが、非常に大事だ。

ということになるのですが、

二流の人間が二流たる所以は、

自分が見ている範囲が矮小なものでも、

その矮小さから抜け出そうとするのではなく、

詭弁を使って、自分の矮小さを正当化していくことです。

なぜ、そのようなことになるのだろうか?

と、考えてみると、

やはり欲望に支配され、我欲を満たすことが第一に、

なっているからだと思うのです。

求道と欲望

求道する者は、道が問題であって、

金銭欲、名誉欲、モテたいなどという、

動物的な欲求が第一目的ではありません。

動物的な欲ばかりに気が取られた生き方では、

求道することもできず、

道に到達することができないということを

よく理解しているので、

まずは矮小さから抜け出すことが、第一になるわけですが、

一方で欲望が第一になると、

我欲を満たすことが優先ですから、

まずは満たせればいい、という考え方になり、

手っ取り早く、詭弁でごまかそうとする。

ということになるのではないでしょうか。

その反面、本物はどこを突かれても大丈夫なので、

正当化などする必要はなく、堂々と語り、

また詭弁などを用いる必要もありません。

むしろ、世間から誤解されても、己が矮小でなければ、

その程度で己が揺らぐことはないわけですから、

悠然としているものです。

一流か、二流か

自分の欲を満たすために、一生懸命に詭弁を使う二流と、

「あんたの世界は小さいな」と誤解されたとしても、

「この広さがあなたに理解できないのは、無理もない」と

悠然としている本物。

この両者には、大きな違いがありますが、

逆に言えば、大きな違いがあることが理解できると、

一流か二流かを判断するのは、

そんなに難しいことではないということです。

先ほど、人間は自分が見える範囲でしか、

考えたり、理解したりすることは難しい。

と書きましたが、

仮に今、一流の世界を知らない二流であるとしても、

慢心せず、己の評価をすることができれば、

「自分が理解できるということは、自分と同じかも知れない」

と、考えるだけで、無防備になることはないわけです。

人間が何を考えているかは、

言葉ではなく、行動を見ればわかるといいますが、

まさにそういうものかもしれません。