恨むのは苦しいだけ・・と、わかっちゃいるけど

仕事がうまくいかないときは

どうしたって、腹が立ちます。

怒りの矛先をどこかへ向けたくなります。

その怒りは、大抵「怨み」となる。

「アイツがあの時ヘマしたから、失敗した」

「あの男の横やりで、仕事の運びを急に変えさせられてしまった。それで結局、ダメになった」

ーなどと、他人の誰かを怨みたくなる。

確かに、そうした怨みは

必ずしも誤ったものではないでしょう。

事実、仕事の失敗には往々にして、

その元凶となる者が存在するものである。

しかし、です。

怨みの心は未来に何も、もたらさぬ。

憎しみや怨みを抱いたからとて、

頓挫した仕事がよみがえるわけではない。

そんなことは解っている。

しかし怨まずにはいられないのだ。

ーと、あるいは訴える声があるやも知れぬ。

そうであろう。

だが、それでも、

怨みの心からは何も生み出されないのです。

そもそも、こう考えるのが良いのです。

すなわち、「人を相手にせず、天を相手にせよ」と。

西郷南州翁遺訓 長尾剛さん著

人を怨んでも仕方がない

人をいくら怨んでも、

やり直しができないのが人生です。

だから怨んでも仕方がないのですが、

文中にもあるように、

そうだと、わかってはいても、

やはり、あいつめと思ってしまうもの。

ですがそれも、

人間ならば、仕方がないことでしょう。

確かに仕方がないことですが・・、

やっぱり人を恨み続けるのだって疲れるし、

多くの人は、本当は恨みたくて、

恨んでいるものではないですよね。

失敗はしてもいい

わたしは個人的に、

失敗はたくさんしてもいいと思っています。

わたしもたくさん失敗してきましたし、

それに、失敗とは希望につながるものだと、

思っているからです。

そもそも、人は機械ではありません。

ですので、失敗をしてしまうのが人間であり、

また、失敗をするからこそ、

「二度と同じ失敗はせん」と、

学ぶことができると思うのですが、

憎しみや怨みに変わるような失敗とは

そういう感じの失敗ではないのでしょうね。

西郷さん流、怨まないコツ

西郷さんが説く、怨まないコツとは、

「人を相手にせず、天を相手にせよ」

ということです。

ようするに、

「わたしの問題であり、相手の問題ではない。」

ということであり、

「おかしなことをして、自ら己を下げているのは相手。」

であり、

「自分がまっすぐ進んでいるという自負があるのなら、わたしの人間は下がらない。」

ということであり、

つまらぬことをして、

自分の品格を落とすのは相手なのだから、

いちいち相手にせず、放っておきなさい。

ということを、おっしゃっているわけです。

求道という観点から考えてみた場合、

たとえ相手が、いくらヘタレであったとしても、

わたしの評価は、

「わたしがどれだけ精進したか?」によって

決まるものですから、

相手がヘタレであろうと、天才であろうと、

わたしの評価には関係ないわけです。

ようするにそれが、

「わたしの問題であり、相手の問題ではない。」

ということになるわけですが、

相手の行動に一喜一憂して、

時間を浪費するより、

己がいかに品格を磨いていくか?

その方が重要なことではないかと、

思うわけです。

人は自然には勝てない

たとえば雨風のせいで仕事が頓挫した時、

だからといって、

誰かを怨んだりするであろうか。

「雨や風を怨んでも仕方がない」と、

あきらめるものでしょう。

そこに憎しみや怨みといった

“ドス黒い感情”は生まれぬ。

むしろ

「この雨風がやんだら、気を取り直して頑張ろう」

と、思うものではないか。

他人のせいで、

思うようにならないことになっても、

「雨風のせいだ」と思えれば、

怨みや憎しみに心が支配されることはないと

西郷さんはおっしゃいます。

また、人がひとたび、

憎しみや怨みに心を支配されてしまうと、

心の中で目的が変わってしまい、

「この状況をどうやって打開しよう?」

ではなく、

「どうやって復讐してやろうか?」

に、なってしまうわけです。

「人を呪わば穴二つ」

という、言葉があります。

成人しているまともな大人であれば、

例えば3歳の子どもと、

本気になってケンカはしないものですが、

相手のペースに巻き込まれ、

我を忘れるような不覚を取るということは、

「私と、そのつまらない相手は、本気でケンカができるほど精神年齢が同じ。」

という証明になるわけですから、

結局、相手と同じ深さの穴まで、

己の品格も下がってしまうのです。

100%相手が悪いという高慢さ

「100%相手が悪い」ということも、

稀にはあるのかもしれませんが、

そのほとんどは、

自分にも相手にも原因はあるものです。

仮に、自分の原因が20%の場合、

自分を省みて、次に活かすことができれば、

まったく同じ状況であっても、

少なくとも20%は、

ダメージを軽減させることができます。

すべてを自分以外の責任にする人は、

人を許すことができないうえに、

怨み、憎しみをずっと抱えたまま、

生きていかねばなりません。

それに加えて、反省することもしないので、

これから先に起きることも、

善い方向に改善されそうな可能性もなく、

まさに、踏んだり蹴ったりのような感じに

なってしまいます。

それらはすべて、

自分次第で変えることが出来るわけですが、

わかっちゃいるけど・・・。

なんですよねー。