偽者と本物を見破る

科学的な方法でお金持ちになるためには、

自分以外の何ものに対しても

意志の力を及ぼそうとしてはいけません。

もともと、そうする権利もないのです。

欲しいものを手に入れるために、

他の人たちに自分の意志を及ぼそうとするのは

間違っています。

精神的な力で他の人に強要するのは、

腕力で強要するのと同じくらい、

紛れもなく間違っています。

腕力を使って他の人に対して

あなたのために物事をさせるよう強制することが、

奴隷的扱いをすることだとすれば、

精神的な手段を使って何かを達成することを

強制するのもまったく同じことです。

唯一の違いは、使う手段だけです。

腕力を使って人からものを手に入れることを

強奪というのであれば、

精神的な力によって

人からものを手に入れることも

やはり強奪です。

そこには本質的に何の違いもありません。

ウォレスD・ワトルズ著 お金持ちになる科学

支配、コントロールしようとする力

科学的な方法でお金持ちになるためには、

自分以外の何ものに対しても

意志の力を及ぼそうとしてはいけません。

と、ありますが

多くの人はお金や物にかぎらず、

何かを得たいと思うときには、

己の思うようにしたいと考え、

己の意思の力を目的が成就するように、

及ぼそうとするものではないでしょうか?

ですが、

己の意思で相手や何かをコントロールし、

自分の思うようにしようとすること。

その方法は全て間違いである。

と、書かれています。

意志の力は使ってはいけないのか?

では、己の意思の力を目的が成就するように

使ってはいけないということか?

と、考えてしまいますが、

それは「使う方向が間違っている」

ということであり、

問題を原因を、

誰かの責任や環境の責任にして、

それを改善してやろうと考え、

相手や環境に対して力を使うのではなく、

自分に対して意思の力を使えばいいわけです。

自分より惨めな人を集めたがる人たち

自分より惨めな人を集めて

惨めな人のリーダーになりたがる人は

多いものです。

そういう人が関心を持っていることは

「尊敬されたい」「惨めさから抜け出したい」

などという私欲です。

自分より惨めな人なら尊敬してくれる。

と考え、その人たちを使って欲を満たし、

今、自分が抱えている惨めさから、

脱却したいというのが本音ですから、

世の人たちの苦しみを癒したい、

惨めさを少なくする手伝いがしたい、

と、詭弁を使いながらも、

その視線の先にあるのは、

そういった人たちではなく、

見ているのは己の欲であり、己の惨めさです。

本来、人を導く立場の人であれば

問題の真理を探究したり、

学び続け、己を磨き成長させ続けることは、

少なくとも最低限のことだと思いますが、

尊敬され、惨めな生活から抜け出し、

私欲を満たすことが目的なのですから、

そのように生きれるはずがないのです。

そうなると、そのような人についていっても

あまり、たいしたことにはなりません。

というより、そういう人だと、

穏やかな場所すら見えていないことが多く、

また、場所がわからないので、

自分の足で穏やかな場所へ

到達した経験もないゆえに、

今も惨めなわけですから、

今惨めな人が、

自分より惨めな人を引率しても、

両者ともに、

惨めさから脱却する場所へ、

到達するはずがないのです。

どんな人を信じればいい?

結局、穏やかで豊かな世界はこんな世界だと、

説明したり、連れて行くことが出来ない人に

やれることは、

テクニックやノウハウを使い、

意志の力を及ぼせと教える程度です。

例えば、東京から北海道に行くには、

北海道がどこなのかがわかっていなければ

行くことは出来ません。

北海道の場所は知っているけど、

いきなり北海道では無理だろうから、

まず福島へ、山形へ。であれば、

着いた場所が北海道でなくてもOKですが、

北海道が何処にあるかを知らず、

また行ったこともない人では、

山形や福島がゴールになったり、

「北海道に行きたいと誰かに尋ねてみろ」

「○○をすれば、その相手が北海道に連れて行ってくれる」

などと、相手をコントロールして

目的を達成しようとするような、

テクニックしか手渡せないわけです。

このように考えてみると、

穏やかで豊かな世界を知らない人が語る、

テクニックやノウハウの先に、

穏やかで豊かな世界が、

あるわけがないのですから、

本来、聞く耳を持っていい人というのは、

実際にその場所にいる人と、

そこに行く方法を知っている人の言葉や、

またそれについての探究を、

粘り強くやり続けている人であり、

また、拠り所にしていいのは、

仮に惨めな人のリーダーであっても、

リーダーの中のリーダーの言葉である。

ということです。

偽物と本物の見分け方

では、どう偽物と本物を見分けるか?

それは、少なくとも自分が本流を知っているか、

または、本流に乗っていれば、

見分けることができるはずですので、

本流とは?を知ることが第一になります。

ブランド品でも、本物を知らなければ、

偽物だと見抜くことが出来ませんので、

まずは、正しく本物を学ぶことです。

偽者にかかわってしまうと、

お金と時間を使い、一生懸命学んでも、

一向に穏やかな日々はこないので、

「あれ、おかしいな?」

ということが、だんだんとわかってくるものです。

ですので、その辺りからは、

「偽者かも?」という視線で、

その真贋を観察しようとするでしょうが、

本物を知るには、

偽物も知らなければなりませんから、

偽者にかかわったとしても、

「偽者を知る勉強ができた」と

己の修行としてとらえて、

今よりさらに高い場所を目指して、

歩いていけばいいだけです。

本物であれば、

本来、力や能力とは、他人を自分の思うように

コントロールするために使うものではない。

ということを知り抜いています。

ですから、

他人を自分の思うようにコントロールする。

という方向へ導いている人は偽者ですから

そのような人には注意して、

仮に、近づいたとしても

「私利私欲を隠しながら、どのように人を誘導しているのか?」

という違った視点から、学びを得てください。

いろいろ書いてきましたが、

これは相手側の問題ではなく、

すべて自分の問題です。

ですから、真贋を見きわめたいのであれば、

私利私欲を満たすために

力を使おうとする相手側の問題ではなく、

こちらに真贋を見抜く目さえあればいい。

という考え方を、

最低限持っておかなければなりません。

毎回、偽者の責任にしていると、

自分の進歩や成長ができませんので、

永遠に続けてしまうようになりますよ。