生きている?それとも、生かされている?

untitled

人間は、地球という最適な環境から

酸素・適度な太陽光・水などの恩恵を受け、

その環境で育まれている生物循環の産物を食物としたり、

さまざまに組み合わせて

より便利なものを作り出して生きているのです。

このように考えていくと、自分で生きているというよりも、

自然によってその大きな循環系の中に

生かされていることがわかります。

微生物・植物・動物などが

自然の循環の一部であるように、

人間も特別な存在ではなく自然という全体の一部なのです。

死の瞬間に体重が減少する!! 川田薫さん著

わたしのだけの力?

なぜ心臓が自然に動いているのか、

どうして産まれた瞬間から

自然と呼吸ができるのか。

そういうことは、

わたしたちにはよくわかりませんが、

一つだけ言えることは、わたしが命令をし、

そして心臓が動き、呼吸しているわけではない、

ということです。

このようなことは、

たくさんあるのでキリがありませんが、

まわりを見渡してみると、

そのようなことに気づくこともなく、

わたしはわたしの力だけで生きている。

と、勘違いをしている人がいるようです。

生きている?生かされている?

能力がある人間になりたいと思い、

また、能力を磨きながら生きていく。

ということは、全く問題ないと思います。

というより、生きていくためには、

むしろ必要なことではないでしょうか。

ですが、その反面、

その考え方しか持ってないというのも、

いかがなものかと思うわけです。

向上心は素晴らしいと思いますが、

加えて、感謝、おかげさまという気持ちも

持っておかないと、

人生の一面しか視野に入っていない

生き方だと思うのです。

向上心とおかげさま

向上心だけで、

おかげさまの心を持ってなければ、

例えば、努力をし、結果を出すと、

「わたしが努力してできたのだから、あなたにもできるはずだ。」

と考え、その生き方をまわりに強要します。

また逆に、

向上心とおかげさまの心を持っている人が

努力をし、結果を出すと、

「自分もよくやったが、これはわたしだけの力ではない」

と、考えることができ、

その喜びをまわりと共有しようとするわけです。

「わたしが努力してできたのだから、あなたにもできるはずだ。」

という思考だけを持ち続けると、

結果が出なければ、努力が足らないからと

自分を責めてしまいます。

本来、人にはそれぞれ個性があり、

得意なことや苦手なことも、

それぞれ違うわけですから、

自分の得意な分野で努力もして、

また、まわりの応援も加わったりすれば

結果も出やすいのでしょうが、

とりあえず努力さえすれば、結果が出る。

ということでは、絶対にないわけです。

例えばわたしは数学が好きではありませんし、

実際に苦手です。

そんなわたしでも、努力をすれば

ある程度までは結果を出せるでしょうが、

数学が本当に好きで、得意だと思っている人の

結果を上回ることは永遠にないでしょう。

好きで得意な人には、努力だけでは勝てません。

ようするに、結果が出ないのは努力が足らない、

ということには、必ずしもならないわけです。

人生は中道

また一方で、向上心だけだと、

結果が出れば、己の力だと過信してしまい、

だんだんと、

結果が出せない人やできない者は怠慢だからだ

というように、

まわりを見下すような考え方になっていき、

どちらにしても、

人生は全く豊かになっていかないわけです。

例えば、

自分の合格は不合格の人がいてこそです。

また、同じメンバーでもう一度

試験をしたとしても、

試験の問題やその日の体調などが変われば、

合否も変わってくるのではないでしょうか?

この一面だけ見てみても、

結果とは「己の努力だけではない」

ということが見えてきます。

人生には、向上心も感謝もどちらも必要ですが、

どちらか「だけ」という極端な場所に身を置かず

努力もしながら、

おかげさまの心を持って生きる。という

中道を歩くことが大事なのではないでしょうか。

極端という一面だけしか見えないことと、

例えば、二面が見えるということでは、

人生の奥行きが、全く違ってくるものです。