心の拠り所

権力や金力の人は

みんな前からおがんですぐ忘れ

さっさと去っていく

親切や奉仕の人は

みんな後からおがんで感謝しながら

いつまでもついていく

河野進さんの詩 「おがむ」

心の中に何を置いているか

例えば、都合がよければ集まってきて

悪くなれば去っていくというような

「都合」とはようするに

今、心に何を置いているか?

ということであり

もっと大きくとらえてみると、

(エラそうに 笑)

生きていく拠り所にしているものは何か?

ということではないでしょうか。

エラそうに言った拠り所とは、

ようするに、生きる指針のこと。

信条なんて言ってもいいかもしれませんねー。

人生をどのように生きていきたいか?

何を大事にして生きていくのか?

また小さく言うと、今どうしたいのか?

拠り所とはそういうものであるわけです。

権力やお金を拠り所にする人

例えば、河野さんの詩に

「みんな前からおがんですぐ忘れ、さっさと去っていく」

と書かれているような、

拠り所を「権力やお金」にしている人は

それが、拠り所であり、

その人の心の支えになっているのですから、

権力やお金がなければ不安になったり、

あればあったで、失いたくないと思ったり、

権力やお金を追いかけて、

「右!、次は左だと思ったら、うえー。」

みたいに、多少振りまわされてしまうのは

仕方がないことかもしれません。

そして拠り所にしているものが

お金や権力ということは、

自分を取り巻く全ての事柄を、

「お金や権力を得るにはどうすればいい?」

という、フィルターを通して考えていますので、

その人にとっての幸せは、

「幸せとは、お金や権力を手にすることさ」

ということになります。

もうこの時点で、

「キリがないじゃん」というか、

「こんなんだと、幸せになれないじゃん」

ということは、

権力やお金を得るということを、

心の支えに生きていない人ならわかりますが、

そういう人は「欲しい無限ループ」の中に

住んでいるので、常に修羅道。

ようするに、心が渇いていることが多く、

心が満たされ続けるという充足感を、

持つことができません。

また、権力やお金が得ることができない自分は

幸せではありませんので、

それゆえに、自分を認めることができません。

ですから、このグループの多くの人は、

ありのままの自分を認めることができない人。

ということになります。

こんな感じで書いてみると、、、

うーん。

こんな人生は、なんとかご遠慮したいものです。

他人を拠り所にする人

拠り所を「他人」にしている人も

権力やお金が他人の評価に変わっただけで

同じような感じですが、

他人の評価が優先され、

他人の評価に支配された人生ですから、

他人の目線を気にしたり、

他人からどう思われているかを、

気にするわけです。

人は、他人の評価を多少は気にするものですが、

このグループの人は、

評価に支配されているというところが、

少し違います。

例えば、食べたくて食べるのではなく

写真写りのよさそうなメニューを選ぶとか・・。

拙者には難しいことですが、

本当に自分のしたい行動なのか、

他人の評価に支配された行動なのか、

自分では判断できなくなっていることも、

多いのかもしれませんねー。

また過去に起きた出来事や、

その相手に対して、

まあ、多くの場合は怒りや恨みでしょうが・・

いつまでも思考を縛られている人も、

拠り所を他人にしている人です。

他人の評価に支配されているわけですから、

自分に起きたつらい出来事は全て

「つらい思いをさせられた相手が悪い」に、

なってしまうのは仕方がないことですが、

このような生き方を続けていくと、

他人はコントロールできないので、

びくびくしながら生きるようになります。

また、このグループの人も、

他人の評価にビクビクしているので、

ありのままの自分を認めることが

難しい人たちです。

拠り所を自分にしている人

じゃあ、財産や他人みたいな、

自分以外を拠り所にするより、

自分を拠り所にするって生き方は、どうなんだい?

と、思ってしまいますねー。

拠り所を「わたし」にしている人は

わたしが心の支えですから、

わたしが神であり、

法であるというような生き方をします。汗

どういうことかというと、

判断の基準が、自分ということですから、

どうしても自我が強く、

エゴが強い生き方になるということです。

例えば「○○でなければならない」

「○○するべき」という考え方は大好物です。

なぜなら、自分が正しいと思ってなければ

「○○でなければならない」という考え方を

育てていくことはできないものです。

まあ、それでも、その考え方を

ひとりで積み重ねていくのなら、

なんの問題もありませんが、

自分の考え方を他人に強要してみたり、

また、その考え方を基準にして、

他人を判断するようになってくると、

ちょっと、せつないことに、

なってくるわけですねー。

こうなると、猫まっしぐらではなく、

高慢まっしぐらです。

このグループの人は、

「ありのままの自分を認めることが、できるんじゃね?」

と、思いがちですが、

ありのままという、

自然体の自分にOKが出せないから、

「○○でなければならないー」と

鎧や武器を持ったように生きるわけです。

「何もしていない、このままの私でOK-♡」

に、なってくると、

人生は楽になってくるのですが、

こういう気持ちは、

努力して創り出すものではありませんが、

こんなこというと、

「何もしていない、このままの私でOK-♡」

に、なるべき!。と

がんばっちゃう人かもしれませんねー。

偉大な存在を拠り所にする人

ていうかさー、

長文だし、読むのもう疲れてきたし、

じゃあ、どうしたらいいのか教えろYO-。

と、そろそろ、

言われてしまいそうですので、

何を拠り所にし、心の支えにすればいいのか?

を、書いてみたいと思います。

拙者が提案したいのは

「偉大な存在を心の拠り所にする」

ということです。

偉大な存在とは、

天や神や仏でもいいでしょうし、

大自然や宇宙でもいいと思いますが、

わたしたち人間の浅知恵だけで、

人生をなんとかしようとしてみたり、

自分のことだけ考えて、

欲を満たそうと生きてしまうから、

いつまでも苦しく、

幸せになれないわけです。

というより、冷静に考えてみれば、

そんなんで幸せになれるなら、

もうみんな幸せになってますよねー。

少なくとも、己の人生を、

偉大な存在に預けて生きようとすることは、

高慢さやエゴからは、

確実に遠ざかっていくことができます。

ようするに、自我やお金や権力に

心の支えを求めて生きるより、

穏やかな生き方ができるということですが、

そのような生き方を手にするには、

「なんだかんだ言っても、生かされているよなあー」

ということを、少し考えてみることです。

例えば、わたしたちは、

どこからきたのでしょうか?

また、命令してもいないのに、

なぜ勝手に心臓が動いたり、

呼吸ができたりするのでしょうか?

その問いに答えられる人は、

この世に誰もいないのですが、

この事実を少し考えてみるだけでも、

「俺が、わたしが生きている。と、今まで思ってたけど、ちょっと違うのかもなー」

ということが、少し見えてきませんか?

「なんかようわからんけど偉大な存在」

がいて、もしかしたら生かされているのかも。

ということを、少し考えてみるわけです。

ですが、全部任せればいいとか、

なるようになると破滅的に生きるとか、

学びや向上心なんか捨ててしまえ、

ということではありません。

わたしたちが学び向上していくことは、

人間の喜びのひとつであるし、

今まで見えなかった景色が、

見えるようになったという、

いわゆる成長するということは、

幸せにとって欠かせないものだからです。

エゴのために学び向上するということは、

誰を出し抜き、誰を蹴落とすか?

という学びですが、

そういう学びではなく、

他もわたしも喜ぶ学びをするために、

心の支えを、偉大な存在にする。

それが、幸せになるひとつの条件です。

「俺なんかには、無理ですよー」

みたいな、卑下や自虐ではなく、

「生かせてもらって、ありがとー」と

偉大な存在に畏敬の念を持ちつつ生きていく。

ようするに、まずは「己の小ささを知る」

ということですねー。

その先にあるのは、感謝です

全てを知ることなどできないのに、

全てを知っていると勘違いしているような、

俺が、わたしがという生き方は、

高慢の生き方ですが、

偉大な存在を心の支えにする生き方は、

高慢ではなく、感謝の生き方です。

そして、高慢さと賢明さをわける境界線は

卑下や自虐ではなく、己の小ささを知り、

偉大な存在を見つめることで育まれていきます。

己の小ささを知るということは、

「下りていく生き方」ということであり、

ようするに「謙虚」ということですが、

(自虐や卑下ではないですよ!)

不思議なもので、自分が謙虚になるほど、

世界が大きく見えるようになってきます。

世界が大きいということは、

己の小ささを認識できるということですが、

つまり、自分を低くする生き方とは、

「大きなものに助けられ生きている。」

と、感謝を知ることができる生き方なのです。

感謝が湧いてくると、

他人も自分と同じ感謝の存在ですから、

左右されることはありません。

また、同じように、

他人をジャッジすることはなくなります。

また、お金や権力というエゴや、

俺が私がという、

高慢な生き方から遠ざけてくれますが、

ようするに、そういう生き方が、

幸せな人生ということであり、

揺るぎない幸せに続く、

ひとつの道であるわけです。

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