善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

「さて、みなさんは自分のことを悪人か、それとも善人か、どちらとお思いですか。自分はこれまで警察のお世話になったこともないし、真面目に生きてきた。どちらかというと善人だと思われる方、挙手をお願いいたします。はい、ああ結構なことですな。では自分は悪人と思われる方は・・・、おやっ、これまた多い。恐ろしや、ここは悪人の集まりですか!」

会場がどっと沸く。

篠田はくるりと後ろを向き、小さな黒板にサササッと書きつけた。

ー 善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

浄土真宗の、いわゆる「悪人正機説」である。

「世の中、善人が救われるのであるから、悪人であればなおさらだ」

という逆説的なフレーズは、

「悪人が救われるのだから善人であればなおさらだ」

という通常の思考とは正反対の言い回しだ。

今も残る篠田の説法の記録は、こう続く。

「人間というのは愚かなもので、<善人>と<悪人>を区別する時、多くの人は<善人>である自分から見て、他人を<悪人>とする傾向があります。つまり、<悪>は常に他人事なんです。確かに人の物を盗んだり、殺人を犯したりする者はまぎれもなく悪人でしょう。自分はそんなことはしないので善人と思うのは当然かもしれない。しかし多くの人は、実は自分も真理にそむくような罪を犯しているのに、それを反省するだけの教養にかけているのではないでしょうか」

篠田が謎を掛けるように言うと、聴衆の頭がそろってグッと前に乗り出した。

「例えば、神妙に「南無阿弥陀仏」と唱えながらも、心のどこかで「こんなことしてどうなる」と疑ってはいないですか。善人にならねばと念じながら、心の中には次から次へと悪だくみの妄想が浮かんでいやしませんか。他人の成功を称えながらもドロドロした妬みが渦巻いていませんか。軽い気持ちで吐いた言葉が、相手に苦しみを与えていないと言い切れますか。みなさん、外見は決して罪など犯すことのない<善人>ですが、自分のことを善人と思っているような人は<悪人の善人>、ちょっと言葉は悪いですが、偽善者のようなものです。”善人面”はしていても、心の中まで完全な善人など、いるはずもないでしょう」

つまり篠田は、自分が善人だと思い上がっているような

偽善者が救われるというならば、

自分の内なる悪を自覚して苦しんでいる人間は

なおのこと救われるのだと言うのである。

教誨師 堀川惠子さん著

多くの人は善人である自分から見て、他人を悪人とする

わたしたちは、すべてが悪人です。

それはどういうことかというと、

人としてあるべき「真理」から見て、

また、心の内から見ると悪人ということであり、

その時々の結果や行為など、

表面的な事象をもって、

善人悪人といっているのではありません。

一般的には表面的な事象を見て、

善人悪人と区別するものかもしれませんが、

そのように単純なことではない。

そしてそのことを理解する、

教養にも欠けていると篠田さんは説かれます。

教養とは何か

では教養とは何かということですが、

篠田さんは、

善人にならねばと思いながら、

次から次へと悪しき妄想をしたり、

他人の成功を称えながら、

心の内部ではドロドロした妬みが渦巻いたり、

軽い気持ちで吐いた言葉が、

相手に苦しみを与えていないと言い切れるか?

ということなどを例にあげられ、

そういう自分であると自覚し、

わたしは愚かな人間だと思うことが、

すなわち教養であると説かれています。

表面的な結果や行為が問題なのではなく、

心の内部が問題なのであり、

表面的な結果や行為だけを整えて、

自分は善人だと思っているような人は

いわゆる偽善者のようなものだということです。

賢者とは?愚者とは?

中村元先生の訳された、

ブッダの真理のことば・感興のことばに

もしも愚者がみずから愚であると考えれば、

すなわち賢者である。

愚者でありながら、

しかもみずから賢者だと思う者こそ、

「愚者」だと言われる。

という言葉があります。

人間というものは、

心の中で考えることと行動が違うこともあり、

また、心の中で考えていることと、

行動が同じだとしても、

罪を全く犯さず生きているという人はいません。

もし仮にそういう人がいるとすれば、

それはもう人ではなく、神や仏であるわけですが、

そういう愚かさには目を向けず、

「己こそ正しく、善人である」

と、考えているような人が愚者であり、

己の愚かさにきちんと目を向け、

「わたしはなんと愚か者か」と、

考えることができる人が

教養のある人であり、また賢者であると、

お釈迦様はおっしゃるわけです。

このように考えると、

教養の反対の言葉は「高慢」

と、言っていいのかもしれませんが、

こういうことを知れば知るほど、

わたしは、どうしようもない愚者であることに、

間違いはないと学ばせていただけるわけです。