好きなものが善、嫌いなものは悪という思考

お国の政治の真ん中に立って

仕事をするというのは、

これは「人の仕事」ではありません。

「天の仕事」です。

人ならば、好き嫌いもあろう。

自分だけの拘り(こだわり)といったものも、

あろう。

好き嫌いや拘りを捨てずに

ワガママを通すこともあろう。

人たるもの、それはそれで、

致し方のないことである。

むしろ、ワガママを通せばこそ、

余人の思いもよらぬ意外な成果を

生む場合だってある。

しかしながら、である。

好き嫌いやワガママというのは、

つまりは「私心」です。

自分で「良い」と思っても、

それは”思っている”だけで、

真実それが本当に良いのかどうか、

正しき判断を出来る人間は、

そうそうはおらぬのです。

ただ自分が好きなだけで「良い」と断じ、

嫌いなだけで「悪い」と

断じているかも知れぬのです。

政治というものは、それでは許されぬ。

自分の身内もアカの他人も、

好きな相手も嫌いな相手も、

価値観や人生観が違う者も、

全部ひっくるめて

万民の暮らしを支えてやらねばならぬ。

世の中全体を包んでやらねばならぬ。

だから、そこに

「私心」が入ってはいかんのです。

ほんのちょっとでも、

自分の好き嫌いや拘りが入っては、

いけないのです。

それで「天の仕事」と申すのです。

話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」

長尾剛さん著

私心とは

好き嫌いやワガママというものは、

「私心」だということですが、

私心とは我欲のこと、ようするにエゴです。

好きだから良い、嫌いだから悪いというように

ほとんどの人が、自分が好きなものは善であり、

好ましくないことは悪だというような感じで、

判断しているものかも知れませんが、

みなさんは、どのように判断しているのでしょうか?

人を導く人たちの基準

「人たるもの、それはそれで、致し方のないことである。」

とあるように、

人としてはOkであっても、

政治家や組織のリーダーなど、

人を導く立場にある人は、

それでは「許されぬ」とバッサリです。

ですが、その後に続くのは、

こだわりや好き嫌いを捨て公平に見る。

それだけでよい。

と、説かれています。

ようするに、

政治家や組織のリーダーになる前に、

まず人としての有り様。

ワガママやこだわりを捨てた、

フラットな「わたし」を

整えることができない者は、

人を導くなど、とんでもないということです。

わたし、わたし

人間としての生よりも先に、

動物的な生にとらわれ、

動物的な生き方をしている人が多く、

また、わたし、わたしという

エゴを追求して何が悪い?

という風潮がある世の中です。

ですが、人を導く立場でない人が、

わたしが第一がなのは理解できますが、

人を導く立場の人が「わたし、わたし」では

従うものは必ず争いに巻き込まれます。

○○ファーストとは、

わたしファーストということであり、

わたしたちファーストということですが、

わたしたちがファーストを目指す世界は、

必ずセカンドやサードを創造する世界、

ということです。

そうなれば、導く者も従う者も、

自ら苦に向かって

突き進んでいるようなものですが、

自分が好きなら善と考え、

嫌いであれば悪と断じるような、

エゴと判断が直結したものの考え方では、

いずれにしても、

豊かな道は歩けなさそうですから

こだわりや好き嫌いを捨て、

なるべく公平に見ることができる人格を、

日々の生活の中で育てていきたいものです。