足りないというイタチごっこ

渇愛(さみしさ)の荒れ狂った川の流れは、

癌があちこちに転移するのにも似て、

あっちへこっちへ流れていっては、転移する。

満たしたと思えばすぐに、足りなくなる。

その渇愛(たりなさ)をごまかしたくて、

「あれが欲しい」 「もっとかっこいい仕事がしたい」

「みんなにもっと尊敬してほしい」 と、

わがままという名の植物がどんどん生い茂っては君を苦しめる。

それらの植物が生えたことに、君がはっと気づけたならば、

智慧のスコップでその植物の根っこを掘り崩すように。

法句経340

超訳ブッダの言葉、小池龍之介さん著

渇愛という足りなさ

渇愛という、足りなさを、

一時的に満たしたとしても、

その根源をなんとかしないかぎり、

渇愛(たりなさ)は永遠に続き

いつしか人は、足りなさを満たすことに、

すべてを捧げて生きるようになります。

それだけならまだしも、

その足りなさが原因となって、

思い通りにならない、

わたしは満たされていない、

満たされないのは○○のせいだ、

と、言っては他人を責め、

人を傷つけたことで、

また、自分も傷ついてしまいます。

足りなさを満たしても

渇愛という足りなさに、

心を支配されてしまうと、

考え方の中心が「わたし」になり

「相手は」という考え方ではなく、

「わたしは」というフィルターで、

見て、考え、判断するようになります。

というように・・・、

渇愛というのはロクでもないわけですが、

「あれが欲しい」

「もっとかっこいい仕事がしたい」

「みんなにもっと尊敬してほしい」などを、

「○○を手にする3つの法則」のような

薄っぺらい手法を学び、

仮に全てを手に入れたとしても、

足りなさという心の渇きを、

一時的に満たしただけで、

渇愛というわがままが生まれてくる原因を、

根絶やしにすることはできていません。

また、一時的に満たしたことで、

その味を覚えてしまった足りなさは、

求めるものがさらに大きくなって、

もっともっとと、足りなさも続いていきます。

問題の根源に気づく智慧

豊かに生きていくためには、

いろんな学びがありますが、

表面的、一時的な解決を目指す

薄っぺらい学びではなく、

渇愛の原因を掘り崩す、

智慧のスコップを手にすることが、

人生を豊かにする方法であり、

渇きからわたしを解放するためには、

必要な学びなのですから、

満たすことだけを考えるのではなく、

もう満たそうと思わなくていいように

心を潤す学びが必要であるわけです。