死や老いが怖い?

よく、「若さを取り戻したい」とか、

「いつまでも若いままでいたい」という人がいますが、

わたしはアホかと思います。

たとえばわたしは、

もう八十歳になろうかという年です。

そんなわたしが、

三十代の肉体を取り戻せるはずなんてないでしょう。

たとえば、足の骨を骨折したとしましょう。

それがなんとか治ったとしても、

昔のように100メートル全力疾走することは不可能です。

若いころの体力に100パーセント戻ることなんてありえない。

つまり、わたしはもう90パーセント死んでいる。

病気になれば、病気のまま生きる。

老いれば老いたまま生きていくしかないんです。

年を取るということはそういうことです。

それにもかかわらず、

「いつまでも若くありたい」などと思うから、

おかしなことになるのです。

自分のなかにある「老・病・死」を見なくなってしまい、

上手に年を取っていけなくなる・・・

それが諸悪の根源なんですよ。

しょぼくれ老人という幸福 ひろさちやさん著

アホな人たち

わたしは80になられるひろさちやさんに比べ、

人生半分程度しか生きてない若輩者ですが、

失礼ながら、同じようにアホかと思います。笑

老いや病気や死に対する不安や恐怖から逃げるため

気を紛らわすためにやる美容や健康だと、

本末転倒だと思うわけです。

病気になれば、病気のまま生きる。

老いれば老いたまま生きる。

ありのままの自分では、愛せないのでしょうか?

心の底に鉛のようにたまっている不安や恐怖は

ありのままの自分を愛することでしか、

取り除くことは出来ません。

あるがままから目をそらす

「ありのままに生きていこう」と

考えることができなければ、

つらいことはすべて苦となり、

苦楽というものを、表面的に、単純に考えてしまうものです。

例えば、そのような人であれば、

病気や老いは苦しみ以外のなにものでもありませんが

そういう人がいる反面、

病気や老いが幸せを教えてくれたという人も

たくさんいるわけです。

こういう感じで考えてみると、

幸せや不幸せは、病気や老いという現象が決めるのではなく

その人の心が決めるということが見えてきます。

人は必ず老い、必ず死にます

虫歯を治療せず、痛み止めを飲んでも、

虫歯は治らず、痛みも続きます。

このことと同じように、

老いや死の不安や恐怖から目を背けても、

それは問題の先送りをしただけです。

そして、問題の先送りをする人生は、

不安もなく幸せな日々が送れるのか?ということも

自らに問いかけてみれば、わかることですが、

そのようなことはありません。

例えば余命宣告のように、

いよいよ死ぬかもしれないという事実が目の前に現れたとき、

死の不安や恐怖と向き合わない人生を生きていたら、

今度は後悔という感情が芽生えてくるかもしれません。

動物的思考、人間的思考

「若さを取り戻したい」とか、

「いつまでも若いままでいたい」というのは、

それだけだと、動物的な思考であって、未熟です。

人間的な思考は、自然の流れをいかに受け止め、

老いや死を見据えながら、

人生を楽しんでいくという思考ではないでしょうか?

若ければモテる、美しければモテる。

という考え方がありますが、言い方を変えてみると、

若いか、美しいかという表面的なことにしか興味がない

動物的な人にしかモテないということであり、

ありのままの自分が愛しくないわたしだから、

整形などをして、表面的なことに手を加え、

その表面的な魅力で愛してほしい。という思考です。

もちろん、若い、美しいにこしたことはありませんし、

それは人生を彩る素晴らしいことのひとつですが、

その前に、己の土台になるものが、

きちんと腹の底にあってのことではないでしょうか。

表面的な事実に引かれて寄ってくる人は、

表面的な事実が変化すれば、

心も変化するものかもしれませんが、

わたしはうわっつらの人間関係には、

まったく魅力を感じませんので、

こうして、死や老いと向き合い、

生死を越えていこうと思っているわけです。