吉田松陰、孟子の講義録

初一念(しょいちねん)名利の為に

初めたる学問は

進めば進む程その弊(へい)著(あら)われ

博学宏詞(こうし)を以て

是を粉飾すと云えども

遂に是れを掩(おお)うこと能わず

吉田松陰先生、孟子の講義録の言葉

何のために学ぶのか

上記の言葉を簡単にいいますと、

名声や利益をもとめる心ではじめた学問は、

進めば進むほど害があらわれる。

そしてそれは、

どんなに知識や言葉などでごまかそうとしても

隠すことができない。

と、いうような意味になります。

勉強とは、己を向上させたり、志をとげるため、

己を幸せにするためなどにするのではないかと

拙者は思っていますが、

みなさんは何のために

勉強をしてらっしゃいますか?

わたしの幸せ

拙者の幸せのために勉強するとは、

誰かを出し抜くためだったり、

蹴落とすためにするような、

我欲のためにする勉強ではありません。

もし仮に、そのような勉強をして、

拙者だけがいいという状況が、

実現できたとしても、

心からよかったなー。とは、

思えないものですよね。

よかったと心から思えないということは、

拙者の人生を大切にした選択、

とは言えないということです。

人を出し抜くために勉強をするということは、

当然ですが、その学んだ知識を利用して

人をコントロールしたり、

自分の利益になるよう誘導したりします。

自分の欲望を満たすことだけに知識を使えば、

自分も他人も幸せにすることはないどころか、

常に、もっともっとと、

欲望を求めてさすらうことになりますので、

苦が永遠に続いてしまいます。

わたしが本当に幸せになるために学ぶ

得た知識によって自分が救われ

自分の人生が豊かに幸せになったのなら、

その次はごく自然に、

その方法を誰かに手渡そうとするはずです。

そしてこれまで、

学びをいただくことができたすべてに感謝し、

生涯敬うことを忘れないものです。

このように考えてみると

俺が、わたしが、というエゴの先には、

俺やわたしの幸せはなく、

俺やわたしが本当に幸せなら、

周りにいる人も、きっと幸せなはずですが、

どうせ学ぶのでしたら、

誰も喜ばない学び方ではなく、

己もまわりも喜ぶ学び方をしたいと思うのです。

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