後の世を 渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧と なるぞ悲しき 源信和尚

後の世を 渡す橋とぞ思いしに

世渡る僧と なるぞ悲しき

源信和尚のお母様の歌だと

いわれております。

源信和尚とは

源信和尚は恵心僧都とも尊称され、

浄土真宗では七高僧のおひとりに

数えられています。

著作に、わたしたち日本人の間に、

地獄、極楽をはじめて広めたとして有名な

「往生要集」があります。

13歳にて比叡山で得度された源信和尚は、

その才能が高く世に聞こえていたようで、

その噂は宮中にも伝わり、

15歳で村上天皇の前で

仏教の講義をされたそうです。

その時に下賜された褒美を、

お母様の元に、手紙と共に送り届けた返事が、

冒頭にある歌です。

後の世を 渡す橋とぞ思いしに

この歌をわたし流に訳してみますと、

あなたには、世の人々を救う力となるため、

仏法と人々との間にかかる橋のような、

大きな人になってもらいたいと思っていたが、

褒美をもらったとか、

有名になりましたなどと言っているようでは、

ただ世渡りをするために、

仏法を学んでいるだけではありませんか。

それが私は悲しいのです。

と、いうような意味になるかと思います。

この歌と共に、褒美の品も

源信和尚の元に送り返されたようです。

何をゴールにするのか

世の人は、他人の評価を得ることが

目的になっているような人は多いものですが、

己の志がどこに向かおうとしているかで、

人生は大きく変わってきます。

多くの場合、幼くして別れた我が子が、

村上天皇の前で講義をするほど

成長したわけですから、

よくやったと褒めたくなるのが、

親というものだと思いますが、

世間に認められることがあなたの目的ではない。

世の人を救う助けになることが、

あなたの目的ではないのか?

と、教える母の心を

みなさんはどのように感じますでしょうか?

そして、そのお母様の戒めを守り、

その後、仏道を歩まれた源信和尚は

仏道を歩む求道者として生涯を終えられました。

後に中国の天台山より、

「日本小釈迦源信如来」と尊称されたそうです。

教えは時をつなぎ越える

今も源信和尚の教えは、往生要集をはじめ

脈々と現代に受け継がれておりますが、

今わたしたちが、

その教えに触れることができるのも、

お母様の戒めがあってのことかもしれません。

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が著された

「教行信証」の行の巻にある、正信念仏偈には

源信広開一代教(げんしんこうかいいちだいきょう)

偏帰安養勧一切(へんきあんにょうかんいっさい)

専雑執心判浅深(せんぞうしゅうしんはんせんじん)

報化二土正弁立(ほうけにどしょうべんりゅう)

極重悪人唯称仏(ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ)

我亦在彼摂取中(がやくざいひせっしゅうちゅう)

煩悩障眼雖不見(ぼんのうしょうげんすいふけん)

大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)

と、源信和尚を称えています。

わたし流の超訳は、

また機会があれば書きたいと思いますが、

わたしもまさしく、にっちもさっちもいかない

極重の悪人のひとりであり、

また、煩悩で目が見えない者のひとりです。