悪い業(カルマ)を消す方法

「悪い業(カルマ)を解消する方法」

空中に飛んで逃げても、無理。

海の中に潜って逃げても、無駄。

山々の奥深くまで逃げても、無意味。

この世界のどこにも逃げ場はない。

これまで蓄えてきた悪しき業(カルマ)のエネルギーの報いからは、

決して逃げとおすことはできず、

いつか、その「借り」を支払う羽目になる。

いやな目に遭っても、逃げもせず拒絶もせず、

「この程度の報いですんでよかった」と明るく受け入れるなら、

悪しき業の借金はすうっと解消してゆくだろう。

法句経127

小池龍之介さん編訳、超訳 ブッダの言葉

原因があって結果がある

すべては、自分がいつか蒔いた種という原因から、

苦楽という作物に育っていきます。

そのことを知らずに、

「あいつが悪い、こいつが悪い」と、

自分以外の責任にして生きていると、

もし、自分が蒔いた種でできた作物が

「苦」という作物であった場合、

人の責任にしたうえに、

出来た「苦」という作物を、

自分で収穫しようとしないわけですから、

「自分がつくった作物を収穫しなかった」

という種を蒔いたことになり、

やがてまた、蒔いた種に相応しい作物が

後日、わたしの元へやってくる。というような・・・

こんな仕組みになっています。

自分を省みる

今ま「あいつが悪い、こいつが悪い」と

考えながら生きてきた方、

少し自分を省みてください。

世の中の法則は非常にシンプルです。

意地の悪い言い方かもしれませんが、

今まで、そのように生きてきたから、

今、ちっとも幸せでないのではないですか。

もしその通りであるとしたら、

これまでと同じ種を蒔き続けていると

また同じ作物が育ってしまいますから、

今度は、違う種を蒔いてみるわけです。

どんな種を蒔く?

では、どんな種を蒔けばいいのか?

それは、この人(出来事)に対しては、

わたしだけではなく、世のどんな人であっても、

苦として受け取ること以外にできないことか?

この人(出来事)を、

右から左に受け流すことが出来ないほど、

心が乱れた自分は、狭量だと心を磨く必要はないのか?

もしここで、心を磨き成長していこうとしなければ、

また同じような人や出来事に遭遇したとき、

また、○○の責任にする以外ないのではないか。

そしてまた、心を乱すことしか、

わたしにはできないのではないか。

そうなってくると、

わたしに起きることをコントロールするのは不可能だから、

これからも、心乱れる人生を、ただ歩き続けるしかできないのか。

というような・・・、

わたしの人生が、よき方向に変化する種を蒔いてみるわけです。

蒔く種を変えると

蒔く種を少しづつでも変えていくと、

相手や出来事を苦だけではなく、

学びに変えて、自由に生きようとしている人や、

相手や出来事に一瞬はへこたれたとしても、

その後、とらわれずに歩いている人たちの

歩いている姿が見えてきます。

ようするに、今まで見ようともしていなかったものが

見えてくるはずです。

「1+1が解けない」と、

問題を出した試験管を責めても、

あなたはその次の試験も合格はできませんが、

1+1を一度解けるようになると、

あなたは人生において、もう二度と、

1+1に苦しめられることはありません。

ようするにそれが、その種に相応しい作物であり、

人生を豊かにしていく、カギのひとつなのですが、

わたしですか?

携帯に「あ」と入れただけで、

「あいつが悪い」と変換されて出てきます。

(ダメじゃん)