高杉晋作の疑問と吉田松陰の答え

君は問う、男子の死ぬべきところはどこかと。

私も昨年の冬投獄されていらい

このことを考えつづけてきたが、

死についてついに発見した。

死は好むものではなく、また憎むべきでもない。

世の中には生きながらえながら

心の死んでいる者がいるかと思えば、

その身は滅んでも魂の存ずる者もいる。

死して不朽の見込みあらば、

いつ死んでもよいし、

生きて大業をなしとげる見込みあらば、

いつまでも生きたらよいのである。

つまり私の見るところでは、

人間というものは、生死を度外視して、

要するになすべきをなす心構えこそが

大切なのだ。

吉田松陰 留魂録 古川薫さん訳

高杉晋作の問い

上記の文章は、

松下村塾四天王のひとりである高杉晋作から、

「男子の死すべきところはどこか?」と聞かれ、

師の吉田松陰がその質問に答えたものです。

ようするに、

「男というもんは、どこで死にゃあいいんですかねー」

「そんなもん、どうでもいいわ!それより己のやるべきことをやらんかい!」(超訳)

ということですが、

拙者のような凡人には、

死を「どうでもいいわ!」と、

考えることができません。

(おー、怖っ)

高杉晋作の墓所である東行庵には

面白きこともなき世を面白く 高杉晋作

住みなすものは心なりけり 野村望東尼

という、歌碑があります。

この歌を詠んだ高杉晋作が、

「男子の死すべきところはどこか?」と、

質問をしたことを考えてみると、

面白くないまま人生を生きるのではなく、

どう工夫して、面白く生きるか?と

考えていたわけで。

身分制度にとらわれない

「奇兵隊」を創設するなどして、

幕末の動乱を駆け抜けた、

高杉晋作らしい質問ではないでしょうか。

師、松陰の答え

師の吉田松陰の死生観は

「死は好むものではなく、また憎むべきでもない。」

ということですが、

多くの人は死を憎んだり、

恐れているものかもしれません。

(おまえもだろ!)

確かに、生に執着して生きると、

長生きが人生の目的になってしまい、

己が何がしたいのか、

どう生きていきたいのかより、

長生きが優先されてしまうので、

命の危険が少なく、

安全な方向を選ぶことになります。

そうなれば、

「体は生きていても、心の死んでいる者」

になり、

やがては本当に、

「面白きこともなき世」に

なってしまうものでしょう。

生死を越える

長生きを目標にして生きていくと、

いつかその思いが叶うならいいのですが、

すべての人は間違いなく死にますし、

間違いなく死ぬ身でありながら、

長生きを第一の目的にし、

やりたいと思うことも我慢し、

安全だと思う方へと選択する。

みたいな生き方は、

命を持て余すような生き方であり、

また、面白くない生き方だと思うのです。

面白きこともなき世から、

面白き世に変えるには、

師、松陰が説かれているように、

「生死を度外視して、要するになすべきをなす心構え」

が大切なのではないでしょうか・・・。

などと、エラそうに書いておりますが、

拙者といえば、

死して不朽の見込みがあるどころか、

それ以前に、

生きて大業を成す見込みもありませんし、

また、生死を度外視できるほど、

生死を越えることもできず、

加えて、成すべき事をなす心構えもない

どうしようもない愚か者ですから、

こうして常に、

死と向き合いながら生きていくことが

精一杯ですかねー。