選ぶのは自分

フロム※は現代の西欧社会がもつ自由と豊かさについて思索して、

「現代社会の過剰と倦怠」と表現した。

私たちはこれまで、

生産(物質)と消費(欲望)が次々と生み出される社会に生きてきた。

際限のない欲求や欲望を植えつけられて、

必要とするよりも多くのものを持っているのに、

これで十分だとは感じられないでいる。

商品の速度と量についていけないで、いつも貧しいと感じている。

食事についてダイエットを心掛けなくてはならないほどなのに、

いつも不足を感じている。

このような受動的な生き方からは、永久に幸せはみつけられない。

幸福は能動的・主体的に、自分で感じとるものである。

テレビのコマーシャルに左右されるだけのような生き方は、

人間の心を嫉妬、貪欲、無力感、劣等感で満たしてしまう。

食事をするにも、テレビを見るにも、家庭で会話をするにも、

しっかり自分の心で決める習慣を身につけなければ、

幸福にたどり着くことなどできるはずがないと、フロムも教えてくれている。

育てたように子は育つ 相田みつをさん書 佐々木正美さん著

エーリヒ・フロム ウイキペディア

相田みつをの言葉では変わらない・・・

ある日、相田みつをの言葉では何も変わらない

という、記事を見つけました。

かいつまんで言うと、例えば、

「ぐちをこぼしたっていいがな、弱音を吐いたっていいがな、人間だもの」などという、

現状を肯定する「みつを」の言葉は、一見優しいだけで、問題の根本的解決にならない。

問題の解決には行動が不可欠であり

行動せずに自分を肯定しようとしても、それは上辺の肯定である。

という内容でした。

そしてこの記事の最後には

本当に自分を変えられるのは行動だけだ。

やりたいと思ったことは我慢せず、徹底的に行動に移すこと。

反省などは行動のあとにすればいいと書かれていました。

みなさんはこの意見、どう思われますでしょうか?

しあわせは自分で決める

結果主義、成果主義ではありませんが

どうやらこの記事を書いた方も、人生を能動的・主体的生きようとせず

人生を「他者から見られ、評価されているわたし」を気にしながら

受動的に生きてしまっている一人ではないかと思ったわけです。

この記事を書いた方に聞いてみたいと思ったのが

「もし明日事故に遭い、寝たきりになったら、どう思いますか?」という質問です。

この方は前述したように

「本当に自分を変えられるのは行動だけだ」と書かれています。

確かに正論なのですが、その前にある大事なものをすっ飛ばしています。

行動や行動に伴う成果も、自己肯定感を上げるためには、確かに大事なことですが、

その前に「何もできない自分に対する存在の肯定」が、まずなければ、

行動ができない状態や、いくら行動しても結果に結びつかない状態が続けば、

最後は必ず自分を否定する日がやってきます。

わたしは本当の自己の肯定とは、能力や行動などなくても、

存在に対する肯定だけで足りると思っています。

「ぐちをこぼしたっていいがな、弱音を吐いたっていいがな、人間だもの」

まず、これがきちんと土台にあったうえで

そのあとに行動や競争であったり、結果や成果という順番でないから、

勝ち組だの負け組だのという境界線ができ、

行動し結果を出す者が素晴らしいという、

わけのわからない矮小な世界観ができてしまうのです。

何もできない自分に対する存在の肯定

「何もできない自分に対する存在の肯定」を持たない人は、

何かできなければ、自分を認めることができないと思います。

そうであれば、寝たきりになった自分を認めることはできないでしょう。

また、「できる自分だから認める」ではなく、

「できない自分を認める」だからこそ、

いろんなことにチャレンジしようと思えるわけですし、

失敗しても学びに変えることができるわけです。

寝たきりであろうと、元気であろうと、そんなことは一切関係のないことであり、

また、相田みつをさんも、そのようにメッセージを出している方の

おひとりだと理解をしております。

真実とは、人種、文化、時代などを超越し、

全ての人が「そうだよね」と、思えるものですが、

このように考えてみると、

寝たきりの人や障害者には優しくないが、結果を出す者にとっては当然の意見だ。

という思考は、全く真実ではないということです。

現状を肯定できないから問題が起きる

現状を肯定できないから問題が起きている、というロジックに気づくことです。

肯定できないから否定の思考が起きているわけです。

今なにもしていない、あるがままの現状を肯定していれば、

もともとプラスマイナス0でOKなのですから、

プラスでなければ人間はダメだ。

そしてプラスにするために行動せよという考え方が、そもそもなくなります。

そして、プラスになったとしても、プラスになればうれしい、

そしてなくなったとしても、最初から0だった。

と考えることができ、

また、マイナスになれば、

プラスもあるのだからマイナスもあるだろう、

このマイナスを自分がどう受け止め、どう学びに変えるかが

これからの自分の人生にとって必要なことだと考えることができ

プラスだろうが、マイナスだろうが、問題は起きません。

ようするに、もうすでに幸せな人であれば

立っている場所は幸せの場所であるから、当然、心にゆとりがあるので、

わたしは幸せじゃないと考えなくて済むようになるということです。

あるがままを肯定する

行動や競争を否定しているのではありません。

行動や競争によって、人は磨かれ成長していくものだからです。

ですがその行動や競争をする理由が、心の渇きを癒すためでは、

心の渇きが癒えることはありませんし、むしろ渇きは増すことが多いでしょう。

ですので、行動や競争をする前に、あるがままを認め、まずは幸せになる。

その後で行動し結果を求める、ということです。

「おまえすごいな、おれはダメだ」ではなく

「おれもすごいけど、おまえはもっとすごいな」であれば、

「結果だけ」に左右される人生を歩くことは無くなります。

まだ幸せでない人、

ようするに心の渇きを満たすために行動をしようとすると、

失敗すると、さらに自分をみじめにし、傷つけてしまうので、

成功する以外に満たされないと、悲壮感を持って行動するようになります。

そうなると、ほとんどは行動を躊躇します。

仮に無理矢理に行動し、うまくいっても、

それは頑張ったからだと考え、感謝という気持ちはあまり起きてきません。

うまくいっても、それを維持し続けなければならない、

うまくいかなかったら、自己嫌悪。

このような状態では、どちらに向かっても不幸ですから、

あるがままを認めるという、

まずは行動する土台を先に持つことです。