戦国三大梟雄 北条早雲と馬泥棒

ある年のこと

小田原の城下で馬泥棒が捕まった

早雲の面前にひきすえられた盗人は

打首を覚悟したのであろう

ぐいと国主をにらみつけ

捨て科白(せりふ)をはく

馬を盗んだのは、このおらにちがいない

じゃがそのむかし

公方さまのお国をかすめ取った大盗人(早雲)がいたが

それはどこのお人じゃったかのう

そんな大悪人を引っ捕らえて

お仕置きすることもできぬとは

ほんにおそろしいことじゃわい

さすがの早雲も

たじたじとなるかとみれば

とたんにカラカラ笑いだし

ワッハッハ、ぬかしおったな、この馬盗人

わしの上手をゆくとは

こりゃあおもしろい

人を恐れぬその肝玉に免じ

命は許してつかわそう

といい縄を解かせて放免した

藤公房さん著 戦国武将の人間管理

戦国三大梟雄

斎藤道三、松永久秀(宇喜多直家)と共に

戦国の三大梟雄と言われる北条早雲のエピソードです。

馬泥棒と一緒にされては困るという反面、

馬も国も同じだというのも一理ありますが、

いずれにしても早雲には、

この馬泥棒を笑って済ますことが出来る、

心の余裕があったということです。

批判が好きな人たち

最近は何か事件が起きると

「わたしは今まで一切間違いをしたことがない」

というような顔をして、

起きた事件についてあれこれと、

批判、評論をする人がテレビにもネットにもいますが、

人は必ず間違いをする生き物であり、

間違いをするからこそ、人間なのではないでしょうか?

だからといって、

罪を奨励しているわけではありません。

人は間違いをするものと思いつつ、

間違いをしないようにと生きていくのは当然のことですが、

それでも罪をしてしまうという我が身を忘れ、

間違いをした人に対して、

高いところから批判、評論をするのは

ちょっと違うと思うのです。

人間とは?と少し考えてみる

はじめから自分のことを棚に上げ

高いところに己の身を置いて、

馬泥棒を裁くつもりであったなら、

「公方さまのお国をかすめ取った大盗人(早雲)がいたが・・」

などと言われれば、

「お前と私は違うのだ!」などと

批判されたことに逆上して、

笑い飛ばすことはできなかったのではないでしょうか。

馬泥棒は精一杯ですが、受け手の早雲には余裕があります。

北条早雲が北条五代の礎を築くことができたのは、

人間観察に長けていて、人間とはどういうもので、

どう生きているのかということが、よくわかっていた。

そして、浪人時代の経験もまた、

人間理解に大きく役立ったのではと思うわけです。

わたしも人のことを、とやかく言える者ではありませんが、

自分のした罪は棚に上げ、

他人の罪は糾弾するような人は、ただの卑怯者ですから、

私を含めて人の上には立てませんね。