明日のことはわからない。本当ですか?

「あんた、明日はどこへ行くのや?」

と聞いてみましたら、

「あ、明日のことは、わ、わからないね」

私はその言葉で胸を衝かれたような気がして、

青山君と顔を見合わせていますと、

「お、おじさん、ぼ、ぼく、へんなことをいったのかな?」

「いや、明日のことはわからない、というようなことはよほど悟った人ででないといえることではない。あんたは偉いことをいう人やと感心しているのや」

「そうですね」

青山君も表情をひきしめていいました。すると、

「あ、明日のことはわからない、ということが本当にわかっていえる人は、な、何人の中に何人ぐらいいるだろうな?」

と彼のたまわくです。

まったくおそれ入って、青山君と顔を見合わせてばかりいました。

道 高田好胤さん著

高田好胤先生が、薬師寺の管主だった当時、

新聞記者の青山さんが連れてきた

画家の山下清さんと交わした会話だそうです。

賢者とは

わたしは以前まで、

明日の心配をし、

その心配を無くすために明日の予定を立て、

そして、

明日への備えを積み重ねることができる人が

賢者だと思っていました。

ただ、モテたい、高級なものを食べたい、

たくさんお金が欲しいなどという

動物的な欲求だけを見て

動物的な欲求だけに支配されて、

生きてきましたので、

そういう生き方を達成した人こそ、

成功者であり、素晴らしい人なのだと、

思っていましたが

やっと最近、そうではないということに

気づくことができました。

この世は諸行無常

この世は諸行無常です。

どういうことかといいいますと、

諸行は常では無いということであり、

ようするに、

「すべてのことは常にうつり変わる」

ということです。

ということは、

いくら明日の心配をして生きたとしても、

常に変化していくのが

世の中というものですから、

そんな世で、明日のことを心配しても

そもそも無駄ということです。

明日を心配しない生き方

ですが反面、

「それでも心配をして、何か手を打っておくことは、幸せな生き方だ」

という考え方もあると思います。

それも悪くない生き方だと、

わたしも思いますが、

そのように生きてしまうと、

不安や心配が軽減されることはあっても、

心配や不安などの、いわゆる、

苦の根源を取り除いてはいないので、

苦がいつまでも、

人生につきまとうことになります。

「苦」そのものの根源を無くすということは、

ようするに、

不安や心配も無くすということですが、

そういう感じで考えてみると、

明日のことを心配しない生き方には、

少し教養が必要であり、

教養を積み、

明日を心配しなくて済むようになった人が

賢者であるということになるわけです。

豊かで大きな人

賢者とは、

以前のわたしが考えていたものとは

少し違っていました。

人間界の賢さとは、

動物界での賢さのことではなく、

むしろ、全く逆の生き方だったわけです。

そして、

本当の智慧を持っている人というのは

今日や明日の心配や、

不安を持ちながら生きていると、

絶対に感じることができない人生。

ようするに、命が尽きていくときに、

「いい人生だった」と心から思えるような

人生を創造することができる、

とても豊かで大きな人なのだと知りましたが、

知っただけで、まだまだわたしは、

山下清さんの足元にも、遠く及びません。

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