宮本武蔵が語る武道とは?

ある人が剣豪の宮本武蔵に、

「武道とは何か」と尋ねた。

武蔵は、

「そこの畳の敷居を歩いてみよ。そこを歩けることが武道である」

と答えたという。

敷居とは、襖をはめる溝のついた横木である。

その横木を歩くことなど普通の人間には朝飯前であろう。

では、なぜこの上を歩けることが武道なのか。

芽野健はこう解説をしている。

部屋と部屋との境にある

敷居の両側の畳がストンとなくなり、

それが深い谷にかかった丸木橋だったとする。

そうなると敷居の上を楽々と歩いた同じ人間が、

果たして丸木橋も

やすやすと渡ることができるであろうか。

こう問いを投げかけた上で、

「畳の敷居を歩いている心をいつも持ち続け、どんなときでも少しも心がすくまず、敷居のときと同じ心で歩ける。つまり平常と変わらぬ心を持ち続けられるならば、その人は武道の達人なのだ」(芽野健「平常心」)

中村天風 自分に「奇跡」を起こせ! 池田光さん著

空の心

宮本武蔵が遺した五輪書は、

地・水・火・風・空と巻がわかれています。

その最後「空の巻」は文字数も少なく、

すぐに読めると思いますが、

そこには宮本武蔵が到達した

二刀一流の兵法の道、

空の心について書かれていますので、

興味がある方は、

読んでみてはいかがでしょうか。

その、空の巻の中に、

「有ることを知り、無いことを知る、これが空というものだ。」

という文章があります。

「空性」を文章にするのは、難解なことですが

大乗仏教では、

「有ることを知り、無いことを知る。そして、その知ったことすらも捨てよ。」

と、続いて説かれていきます。

この考え方を、

引用した文章に当てはめて考えるなら、

「畳の敷居、深い谷にかかる丸木橋・・。それが何か?」

と、歩ける者が武士である。

と、考えることができるわけです。

一喜一憂の人生

深い谷にかかる丸木橋に遭遇!

という、冷や汗ものの事件でもないのに、

ちょっとしたことが起きただけで、

「ぴーぴー、きゃーきゃー」と騒いでしまうのは

何を隠そう、このわたしですが、

これはもう「空性」どころか、

「煩悩性」のかたまりですね。

生きていくということは、いろんな事が起きる。

ということですが、

その事実を知っているのか、知らないのか、

毎日、飽きもせず、

「○○さんがこんなことを!」

「○○みたいなことって、ひどくない?」と、

一人で騒ぎ続けているということは、

目の前にいる相手や、

起きている出来事がひどい事なのか、

それとも、そのつまらないと罵っている

相手や出来事すら、

自分の中で受け止め、捌くことができない、

このわたしが、ひどく残念な者なのか?

という話であるわけです。

思い通りにならないのは

私を含めた多くの人が、

思うようにならないと思っているのは、

他人や出来事なのかもしれませんが、

ほんとうに思うようにならないのは、

他人や出来事ではなく、自分の心なんですよね。