人間らしくない人間のつくり方

最近、比叡山の坊さんから、

この頃”山の子ザルがよく樹から落ちる”のだ

ということをお聞きした。

寒い山に住むサルは、餌を求めるのには

きびしく生きる経験を身につけていかなければならない。

ところが、山が開発され

観光バスがどんどん登って来るようになってから、

サルたちはバスの通る道に出て来て、

観光客から餌をねだるのだという。

サルがサルとしてのきびしく生きる姿勢を失ってしまうと、

サルとしての経験の伝承を失っていくのである。

一人には一人の光がある 石川洋さん著

経験は豊かさを育むひとつのもの

何かを究めるためには、

経験はひとつの重要なポイントですので、

人間が人間らしく生きるためには、

いろんな経験を積み重ねていくことは必要です。

その経験の中には、やりたくないことや、

厳しいなと思うこともあるでしょうが、

常に、やりたくないことや、

厳しさを避けようとするということは、

子ザルが木から落ちてしまうように、

人間らしく生きることを避ける。ということに、

つながっていくのではないでしょうか。

易き道と厳しい道

いつもいつも、

ストイックに生きることもありませんが、

いつも、楽な方ばかりにいこうとするのも

ちと、どうなのかということです。

人間はそもそも横着な生き物ですから、

易きに流れようとしてしまうのは、

仕方がないことですが、

易きに向かいながらでも、

避けてはいけないことは有り、

また、通らなければならないところは

やはり、通らなければならないものです。

そして皮肉なことに、

「危ないよ」という注意ぐらいでは、

なかなかその危険度を認識できなくても、

一たび危険な目にあうと、

その危険に対して慎重に行動するように

人間とは、ミスをして痛い目にあった方が、

何事もなく無事に淡々と学んでいるときより、

よく学び、成長することができる、

生き物なのではないでしょうか。

サルらしくないサル

サルらしくないサルなら

木から落ちてしまうようですが、

人間は、目の前の困難を避けたり、

問題から目をそらしたり、

問題の原因はわたしではなく、

常に他人にあると考えたり、

誰かに責任転嫁してばかりいるようだと、

我が身を振り返る、

ということが、できなくなりますので、

反省することができなくなります。

そして、

反省のないところに成長はありません。

人間が人間らしく生きるために必要なことは、

やはり最低限あるもので、

易きに流れていきつつも、

そこは押さえておく必要があると思うのです。

サルらしく生きてこなかったサルは、

木から落ちるようになるようですが、

人間らしく生きるための経験を、

これまで受け止めようとしなかった人間。

我が身を省みず、

易きにだけ向っていこうとする人間の末路は

はたして、どんなものなのでしょうか。