「空」と侍精神

ダウン症者は

いわゆるIQの面では高くありません。

けれどもその分

俗世の欲得や競争や権利意識などから

解き放たれた世界で生きることができます。

お金や地位、名誉がほしい

世間から評価されたい

そのような欲望はまったく持っていません。

常に無心で

ただ、今ある目の前のことに

懸命に向き合うだけなのです。

翔子を見ていると

その言動のすべてが

他者への愛情から生まれていることに

我が子ながら驚かされます。

人はここまで自分を無にして

他者の立場に立って考えられるものだろうか。

その心のありように

私は知的障害者の持つ

深い知性を感じずにはいられません。

翔子 金澤翔子さん 金澤泰子さん監修

欲は苦の元になります

文中にあるように

「お金や地位、名誉がほしい、世間から評価されたい」

などという、わたしだけの欲に折り合いをつけることができれば

人生はどんどん楽になってきます。

なぜかというと、全ての「苦」の原因は

その欲が思うようにならないことが原因だからです。

また、

「俗世の欲得や競争や権利意識などから解き放たれた世界」

というのは

いわゆる、煩悩を滅した状態ということであり

最高の智慧を獲得した状態であるわけです。

わたしたちは自分だけの欲を見て

自分だけの欲を追い求めて生きています。

そう生きた結果、誰かを傷つけ、

わたし自身も傷つけるような生き方を選択しているわけですが

そのようなわたしたちに囲まれていても

そうでない生き方を選択できるということであり、

そもそも、求道者は

その境地を目指して、日々精進しているわけです。

常に無心

「常に無心で、ただ、今ある目の前のことに懸命に向き合うだけなのです。」

とありますが、

本来はこのように我欲を手放すことができれば最高です。

この状態が本当の「ありのまま」ということであり

いわゆるマインドフルネスということにつながるわけですが

引き寄せの法則を我欲を満たすための法則だと

歪めてとらえてしまった人たちのように

「我欲をもったまま、ありのまま」生きても

それはただ我欲を追求している人というだけで

「ありのまま」という言葉を、わざわざその人たちに当てはめる必要はありません。

仏教では我欲という煩悩を手放した人を「勝利者」と呼んだりしますが

いきなり欲を手放したりすることはできませんから

まずは欲をもっていても、

思い通りにならないことで苦に変わるまで執着しないとか

欲をもっていても、欲に支配されて

欲のために生きてしまうという選択をしないということを

目指していけば

欲との付き合い方がうまくなったり、距離感ができてくるわけですから、

だんだんと苦しみも減ってきます。

慈悲と自他不二

「翔子を見ていると、その言動のすべてが、他者への愛情から生まれていることに我が子ながら驚かされます。」

と、文中にありますが、

我欲を捨て去ってしまうということは、ようするに

最終的に「わたし」も捨て去ることができるようになるということです。

道徳の時間に「思いやりを持ちましょう」と、いくら習ったとしても、

欲に折り合いがつけれてなければ

我欲と戦い、頑張ってその状態を維持しなければなりません。

我欲を捨て去った人は、わたしをも捨て去ります。

ということは頑張らなくても思いやりが持てる。

自然に、反射的に、他者のことを考えることができるようになるわけですが

この状態を仏教では慈悲といいます。

そして、

「人はここまで自分を無にして、他者の立場に立って考えられるものだろうか。」

と、書かれていますが、

この状態のことを仏教では自他不二といいます。

自他不二とは、「自分と他人は二つにあらず」という意味ですが

ようするに、自分と他人の垣根を取り払った状態で

自分も他人も一体だと、考えることができるということです。

侍人の目指す生き方

道を求める求道者は、このように生きていけるよう、

また、このように自然に生きていけるように自己と向き合います。

相模原市の障害者施設で、凄惨な事件を起こした人がいました。

中には、その人物を英雄視したり、理解をするという人もいるようですが、

無知とは本当に恐ろしいものであり、

煩悩とは本当にどうしようもないものだと考えざるを得ません。

そして私は、金澤翔子さんのように生きていきたいと願うひとりであり

金澤さんの偉大さを知り、尊敬する者のひとりであり

翔子さんを育てられた、ご両親の偉大さを知り尊敬する者のひとりです。