水のように生きるのが 最高の生き方(上善如水)

やわらかいといえば

水ほど

やわらかく弱々しいものはないよね

しかも決して争おうとはしない

丸い器に入れば丸くなり

四角い器に入れば四角になる

形にとらわれず、自由自在だ

ところが形をもたないからかえって

どんな小さなすきまにも入ってゆき

どんな巨岩をも粉々にしてしまう

即ち、水とは

やわらかく弱々しいことに徹して

何よりも強い、とも言える

上善若水(じょうぜんじゃくすい)

水のように生きるのが

最高の生き方なのだよ

水は、万物に恵みを与えているが

決して自慢しないし威張らない

それどころか、かえって

人々が嫌がる低い方へ低い方へと

流れてゆく

謙虚だねえ

さあ、水のように生きなさい

それが”道(Dao)の人”の

生き方なのだよ

自由訳 老子 新井満さん著

上善如水

水は、文中にもあるように、

丸い容器に入れば丸く形を変え、

四角い容器に入れば四角く形を変えます。

どのような形にも変化することができるのが

水というものの性質ですが、

だからといって、

個性がないわけではありません。

水は生き物にとって必要なものであり、

万物に恵みを与えますし、

熱すると蒸発し、雨となって降り注いだり、

凍らせば氷になったり、

ときには濁流という

大きな力となることもあります。

個性や自主性があっても、

格別「これ」という型やスタイルを持たない、

自由自在なもの、それが水です。

(かっこいいーっす)

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ

ようするに水とは、

やわらかくしなやかで、自由自在であり、

万物に恵みを与えるものであり、

威張ることもなく、争うこともなく、

低い方へ、低い方へと流れていく

拙者たちの生き方の、

手本になるものではないでしょうか。

「いやー、水に合わない!」とか、

「自分とは水と油です。」などという、

水かけ論をしていると、

それこそ、覆水盆に返らず。

みたいになってはいけないので、

(うまいこといったつもり)

年寄りの冷や水だと、

今までのことは水に流して、

水に慣れてみようとするのも、

一興ではないでしょうか。

(うまいことはまだ続く)

水の泡となる?

小さなことにこだわる、

カチカチと固く、融通のきかない拙者と違って

しなやかに、また自由自在に形を変える水。

ほしいほしいと

いつも何かを求める拙者と反対に、

万物に恵みを与え、

生きるためになくてはならない水。

高いところに登りたがったり、

ヘッヘーと他人に威張りたがる拙者と違って、

(こどもか?)

下へ下へと、下坐に向かっていく水。

こんなにも水とは違う拙者ですが、

こんな拙者にも明日はやってくる。

のですから、

所詮、焼け石に水だよ。などと考えず、

雨だれ石を穿つ、というように、

しっかり求道の道を歩いて行こうと思うのです。

(まだうまいこといってるつもり)