人間的生き方と、動物的生き方

理性が私を「人間」にしてくれる

人間を「動物」と区別する、この素晴らしい能力。

これを「理性」と呼ぼう。

この力こそが、

人間らしい善なる心を生み出させるのだ。

「人倫の形而上学の基礎づけ」

超訳 カント

訳・監修 早間央さん 構成 北澤睦世さん

欲は二種類

人間を「動物」と区別する、この素晴らしい能力。これを「理性」と呼ぼう。

と、文中にはありますが、

ようするにカントは、理性を持っていない人間は

動物だと言っているわけです。

確かに、食欲、性欲などの

「自己」に対するさまざまな欲は

人間にも動物にも同じようにありますが、

理性という、善なる心を生み出す母は、

動物にはないわけです。

欲は自己だけのための欲と

公に対する欲の二つがありますが、

公に対する欲については、理性が母体になるものですから

動物にあるのは自己のためだけの欲、

ようするに、我欲、エゴです。

理性とは

我欲(エゴ)を満たしたい、

欲しい、欲しいというような

我欲に支配された生き方ではなく、

主語を「わたし」だけではなく、

「相手」や「まわり」にもできる生き方をするための、

助けになるもののひとつが、理性です。

そして、その理性を生み出すもののひとつが

智慧であり、教養です。

テクニックや技術論は、一時的には使えますが、

それは単純で表面的であり、

理性と直結したものではなく、

問題の根源に対するアプローチもできません。

そういった「知っている」程度の話を知っていても、

実際に智慧や教養として体内で育んでいかなければ、

智慧や教養にはなりません。

ですので、理性を生み出すための知識を手に入れ、

その知識を体内で化学反応させ、

智慧や教養に変えることで、

理性というものが育ってくるのではないでしょうか。

まだまだ動物的なわたし

確かに、動物のように生きているだけでは、

本来、人間の持っている力を発揮した生き方とは、

いえないものでしょう。

例えば、高級車を出前に使っても、

問題ないと言えば問題ありませんが、

その特性を活かす使い方は、もっと他にあり

出前で使う高級車では、

なんだか味気のない高級車になってしまうでしょう。

人間も動物のひとつですが、

わたしはやはり、ほしいほしいというような

欲望と自分の心しか見ていないような、

動物的でも可能な生き方ではなく、

知識を教養に変え、

わたしも相手も、まわりにも目を向けれるよう、

人間的に生きていくことが、

動物的な生き方では味わえない、

人間だけに許された幸福に近づく、

唯一の道ではないかと思っていますが、

などと言いながら、まだまだわたしも動物的です。