強い者は謙虚に仕えよ

強い者

強い者は 弱い者の重荷を負い

強い者は 悲しむ者を助け

強い者は 病む者を助け

強い者は 倒れた者を起し

強い者は 貧しい者に施し

強い者は 親のないこどもを抱き

強い者は 孤老の話を聞き

強い者は 謙虚に仕えよ

ぞうきん 河野進さん著

謙虚に仕える

同じ行動であっても、人格ゆえか、

それとも取引だからかという、

境目になるのが、

謙虚さということではないでしょうか。

例えば、弱い者の重荷を負うことや、

悲しむ者や病む者を助けようと行動したり、

倒れた者を起したり、貧しい者に施し、

親のないこどもを抱き、孤老の話を聞くことは

一時的にしかできないことでしょうが、

何か下心を持っている人なら、

やろうと思えばやれることです。

ですが、日々の生活の中で

普段から謙虚に仕えることができている人が、

下心を持った人と同じ行動をしても、

外から見ると同じ行動に見えますが、

その中身はまったく違い、

謙虚な人の行動は、人格ゆえであり

取り引きの人の行動は、欲のためです。

弱きわたし

わたしなどは、

弱い者を見つけると自分の重荷を背負わせ、

自分のことで一生懸命なので、

悲しむ者など、そもそも視界にすら入らず、

当然のことながら、病む者には、

気づかいをすることすらできず、

倒れた者を見ると、

「あいつはバカだ」と笑いものにして、

貧しい者を見ると、見下して、

「あのようには、なりたくない」と思い、

親のないこどもには、

「そのうち、いいこともあるさ」と、

適当に向き合い

孤老の話は、世間体を気にして、

聞いているような顔だけはしていても、

右から左に聞き流し、

そして謙虚に仕えるどころか、

すすんで高慢や傲慢に、弟子入りしております。

何に仕えるのか

わたしはロクに行動すらできませんが、

欲に仕えていている人も、

謙虚に仕えている人も、

動機を横に置いておけば、

行動は立派なものです。

「やらない善より、やる偽善」

などと言う言葉もありますが、

どうやら、わたしのような

行動すらできない人間のことを、

世間では「弱い者」と呼ぶようです。