責め合うことと、認め・許し合うこと

絵と文字という別のものを、

一枚の絵の中に描いていくうちに

少しずつ分かってきたのですが、

絵も詩も少し欠けていた方が

良いような気がします。

欠けているもの同士が

一枚の画用紙の中におさまった時、

調和のとれた作品になるのです。

これは詩画だけでなく、

私達の家庭も社会も同じような気がします。

欠けている事を知っている者なら、

助けあうのは自然な事です。

あなたの手のひら 星野富弘さん著

助けあう社会と、貶めあう社会

今の日本は、

お互いに助けあう社会

という一面ももっているようですが、

その反面、

足を引っ張りあい、貶め合うような社会

というような一面ももっています。

また、貶めることまではないとしても、

自分のことだけで手がいっぱいになってしまい、

何かを見ても、

見て見ぬ振りをしてしまうことは、

多いのではないかと思いますが、

かくいうわたしも、その一人です。

助けあうことが基準な社会

貶めあう社会と、助けあう社会

どちらが基準の社会がいいかと考えてみると、

このサイトに来てくださるみなさんは

助けあう社会を基準にしたいと、

思っているのではないでしょうか。

ですが今の社会は少なくとも、

助けあうことが基準だと言い切れない社会かもしれません。

助けあうことが基準だと言い切れない社会

ということを、もう少し具体的に考えてみると、

失敗は許されない、すべては自己責任だという感じで、

みんなが緊張しながら生きているような社会

ではないかと思うのです。

人間は絶対に失敗する

人間は必ず失敗をする生き物です。

この世に生きている人で、失敗をしたことがない。

または、迷惑をかけたことがないという人を

私は知りません。

であるにもかかわらず、

失敗は許されない、すべては自己責任だと生きることは

素晴らしい生き方の一つであると思いますが、

その反面、それだけを見てしまうような生き方は

そもそも無理な生き方であり、

苦という方角に向かっている生き方だと思うのです。

人の失敗を許さない人

失敗は許されない、すべては自己責任、という考え方と

人間は必ず失敗をする生き物、という考え方を

心にあわせ持つことができれば、

少なくとも、人の失敗を責めたりするような

貶めあう社会ではなく、

まあ、なんとか頑張っていこうよ。というような、

肩を叩きあえる社会になってくるのではないでしょうか。

わたしは欠けてはいない、

また、あったとしても、

欠けたところを補うよう生きているという生き方は

一見、とても強い生き方のような気がしますが、

自分も欠けているひとりだという事を認めたくない生き方であり、

そのままの自分を認める強さを持たない人です。

強さと優しさは、互いにつながっています。

本当の強さを持つことができなければ、

本当の優しさを持つこともできないものですが、

やさしい社会にしていくには、

自分も人も欠けていて、みんな同じなんだと

気づくことから始まっていくのではないでしょうか。