天はコイツだ!と思う人に、試練を与えます。孟子

天の将(まさ)に大任を是の人に降さんとするや

必ず先づ其の心志を苦しめ

其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓せしめ

其の身行いを空乏せしめ

其の為さんとする所を払乱せしむ

心を動かし、性を忍ばせ

その能はざる所を増益せしむる所以なり

孟子の告子篇より

意訳

天が人に仕事を与えようとするときは、

まず、その人の心を苦しめ

肉体を疲れさせ、生活を困窮させ、試練を与え、

人生をその人の思いと違う方向へ誘導する。

なぜかというと、

与える仕事に相応しい人間力をつけさせるため、

その人の心を鍛え、忍耐力をつけさせ、

その仕事をやりきることができる人に育てるため。

と、いうような意味になります。

天からの指名

天は仕事をさせてみようと思う人に

試練を与えるということですが、

その部分だけを考察してみても、

確かに偉大な仕事を成し遂げた先人には、

逆境を乗り越えたなどの、

逸話がつきものではないでしょうか。

天に選んでもらえるということは

非常に稀有なことであり、身に余ることですが

我が身を振り返ってみると、

私のようなバカ者には、

天が仕事を与えるための試練など記憶にありません。

ヨブ記

その人の心を苦しめ

肉体を疲れさせ、生活を困窮させ、試練を与える

というあたりを読んでみると

旧約聖書にある、ヨブ記を思い出します。

ざっくり言いますと

正しく、敬虔に生きているヨブに、苦難が起きる話

ですが、

次から次へと起きる苦難に対して、ヨブは

「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただかせてもらう」

と言って、罪を犯すことはありませんでしたが

わたしなら、すでにここで降参です。笑

わたしは愚か者ですので、

調子がいいときには敬虔さを持てますが、

ひとたび逆境になると、すぐに弱音を吐いてしまいます。

苦しい時しか学べない

わたしは、うまくいっている時には、

すぐに慢心し、我が身を省みることができませんので、

たいした成長はしていませんが、

今思うと、苦しい時にはよく学ぶことができ

成長につながったなと思えるのです。

映画や物語では、必ずといっていいほど、

主人公に対して試練がおそいかかります。

というより、試練がこない

平凡で穏やかな主人公の話など、

物語にもなりませんが、

物語を見たり、読んだりしているこちらからすれば、

ハラハラドキドキしてしまうこともあるわけです。

ですが物語や映画が終わったあと、

すべてを振り返ってみると

その試練は、主人公にとって

すべて必要な試練であったと気づくものですし

また、どれが欠けてもいけないものだったと

思うものではないでしょうか。

試練はギフト

そのように考えてみると、今日の言葉は、

逆境にいる人を甘やかすような言葉ではなく、

本当に勇気づける言葉だと思うわけです。

目の前に試練があるということは、

まだその人は試練と対等か、

もしくは試練を越えることができないわけですが、

努力して試練を越えたということは、

その人は試練を越えるまで成長したということです。

越える前にはできなかったことが、

越えた後にはできるようになったり、

できなかった仕事ができるようになったということは、

ようするに、成長したということですが、

越えた試練に対して、それ以上の人間になったのですから、

やはり、試練は天の配剤だなと思うわけです。

今苦しくても

今が苦しいと感じながら、

日々を生きている人もたくさんいると思います。

ですが、苦しくても悲観したり、

投げやりになることはありません。

今はそのように思えないかもしれませんが、

悲観するというよりは、むしろ逆で、

本当は、大変にありがたいことだと思うのです。

映画のエンディングでは、

すべての試練があってこそだと思えませんか?

試練に向かって生きていけば、

いつかはその試練を越えたという経験を土台にして、

次のステージの扉を開ける日が必ず来るということです。

つらさの渦中にいると、

視界も悪くなり、まわりも見えなくなるものですが、

やまない雨はないように、

ただじっとしているだけでも、

だんだんとそのつらさは和らいできます。

そのつらさや苦しさも、今ここにいるわたしにとって

すべて必要な事であったと、必ず気づく日がきますので、

その日を信じて、

試練と向き合ってもらいたいと思うわけです。

何でこんなことが言えるのか?というと・・・

わたしも皆さんと同じように歩いてきたからなのですが、

わたしの元には、

天からの仕事はやってきておりません。笑

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