知足者富  (足るを知る者は富む) 老子

知足者富(足るを知る者は富む)

足りることを知っている人は

豊かな人であるという、老子の言葉です。

実は世の中はどんどん豊かになっている

みなさんには、好きな歴史上の人物や、

尊敬している人物がいらっしゃいますか?

私にはたくさんいます。

その好きな人物が生きた時代と、

今わたしたちが生きている時代を比べてみると、

どちらが便利で、恵まれているかは、

考えなくてもわかりますね。

今は車も新幹線も飛行機もありますが、

例えば、坂本龍馬が生きた幕末であれば、

江戸から京都までは

徒歩で13日から15日かかったそうです。

仮に、龍馬が江戸にいたときにふと

「京都を洗濯せんといかんぜよ」

と思っても(思いませんが)

洗濯にかかれるのは13日~15日後。

今は、移動手段にもよりますが、

午前中に旅立ち、

同じ午前中に洗濯にかかれてしまいます。

今、もし龍馬が生きていたら、

この事実を見てどう思ったのでしょうか?

そして、

この時代に生きているわたしたちを見て

何を思うのでしょうか?

善きことはカタツムリのように

いいことは一般的に考えれば、

パッと一瞬で成果が出ることは

あまりありません。

その反面、よくないこと。

例えばよくない事件なんかは、

すでに結果が出ているものですから、

ニュースになりやすく、

一般に広まりやすいものです。

最近のニュースを見ていると、

なんか暗い時代のような印象を

持ってしまう感じですが、

意外にそうでもなく、

実はどんどん進歩している

世の中だと思いますし、

実際にそうなのではないでしょうか?

「つらさ撲滅チームが、つらさを無くすひとつの可能性に成功しました!」

という情報は、朗報に違いないのですが、

やはり可能性のひとつではなく、

「つらさを撲滅した!」という

結果にならないかぎり、

ニュースにはなりにくいものです。

ですので、よいことは少しづつ、

今も誰かの力で人知れず積み重ねられている。

そんな風に思うわけです。

征夷大将軍とわたし

今わたしは、

車や携帯を使うことができます。

また、電気やガスもあり、

暑ければエアコン、

寒ければ暖かいお風呂や暖房というように、

おかげさまで、

すぐに心地よい環境を整えることができます。

また、ネットで買い物をすれば、

日本各地だけではなく

世界中の食べ物だって届きますが、

江戸の人が京都の名物を食べようとすれば

13日~15日かかったわけですし、

生ものなどはお土産でも

食べることができなかったわけです。

こうして、便利さで考えてみると

例えば江戸幕府を開いた徳川家康よりも

今のわたしたちは

便利な生活をしているということです。

ようするに、

征夷大将軍より平民のわたしの方が、

あらゆることに便利で恵まれていて、

苦しゅうないわけです。

ほしい、ほしいという習慣

足るを知るということは、

催眠術のように暗示をかけて

満足しようとしたり、

また、無理矢理に満足しろ!

ということではありません。

今の自分が持っていないものではなく、

持っているものに目を向けてみよう。

という考え方です。

ないものを見るより、あるものを見る。

そうすることでだんだんと、

「意外に持ってる。あるんだ。」

ということに気づくことができ、

今に満足できるようになります。

ですが、今持っているものに目を向けず、

「ない、ない」「ほしい、ほしい」と

ないものに目を向ける習慣が心にあると、

どんなものを手に入れても、

どんな人と交わっても、

どんなに満たされたとしても、

「ない、ない」「ほしい、ほしい」と

考えてしまう習慣が心の中にあるので、

常にないものを探そうとしてしまいます。

そうなると、満たされていても

心の渇きを満たすことが難しくなり、

渇きが満たされないわけですから、

人生も満たされなくなってしまいます。

人の評価も同じことです

「今日も穏やかで、いつもと変わらない日だった。」

と考えるのか

「今日も特別なことが何もない、つまらない日だった。」

と考えるのかで、

同じ日であっても、全く違って見えてきます。

友人や家族や仲間がいて衣食住や仕事もある。

でも、それだけでは幸せとは言えない。

という人もいますが

それが幸せだと思える人が、

「足るを知る人」ということでは

ないでしょうか?

人に対する考え方も実は同じで、

本来、人は生きているだけで奇跡であり、

素晴らしいわけですが、

ないものを見る習慣を持って

人を見るようになると、

例えば、わたしより歌がうまいな、

頭がいいな、と思える人を見るだけで、

「比べてみると、わたしにはない」と

考えるようになるので、

自分を苦しめるようになります。

頭がいい、足が速い、料理がうまい、

などは、すべて能力の話であり、

人格とは別のものです。

能力は持って生まれたものですから、

誰にでも違いがあり、

またどうしようもないものです。

記憶力に自信がある人とない人では

記憶力に自信がある人の方が、

試験に合格することは有利になりますが、

でもそれだけが、

生きるということではないわけです。

自分より賢き者を近づける術を知りたる者、ここに眠る

鉄鋼王である、

アンドリュー・カーネギーの墓碑には

「自分より賢き者を近づける術を知りたる者、ここに眠る」

と、いう言葉が刻まれているそうです。

また「士は己を知る者のために死す」

という故事もありますが、

仕事がいくらできても、

人間性に共感できない上司とは

あまり仕事はしたくないように、

能力以上に大事なことは、

人間力だと思うわけです。

また、能力がないと考えるのではなく、

わたしはこんな能力を持っている。と、

持っている場所に光をあてることができれば、

他人の光にも気づくことができる、

いい思考習慣が持てます。

わたしは生きているだけでOK。

だから本当は、すべての命も同じようにOK。

そして能力があるのなら、さらにOK。

そのように考えることができれば、

わたしを卑下したり、

責めたりすることもなく、

また「ない、ない」と、

悲観することもなく、

全ての存在はOKだと、

自然に考えていくことが、

できるのではないでしょうか。