あした死んでも大丈夫?

僕らは100年後、この地球にはいません。

つまり、得たものを、すべて手放す日が来ます。

昨日得たものも、明日得るものも

すべて手放す日が来ます。

大切なカバンをなくしてしまった?

そんなに落ち込まなくて大丈夫です。

そのカバンは、いつかは

なくすものだったんですから。

そう考えると、何かを得ることが

人生ではないことがわかります。

天の迎えが来るその日まで、

思い切り生きること。それが人生です。

あした死ぬかもよ? ひすいこたろうさん著

すべての生き物は死んでゆきます

すべての生き物は遅かれ早かれ、

死んでいきます。

肉体が滅びるという事実は、

すべての生き物に対して平等です。

死がすべてにおいて平等なのですから、

今わたしたちが持っているものを

すべて手放す日、

それは今日かもしれませんし、

明日かもしれませんが、

量の多寡や時期などに関係なく、

それらを手放さなければならない日が、

いつかは必ずやってくるということです。

いつかは手放さなければならないもの

世の中のことは常では無い。

ようするに、常に移り変わるということを

仏教では諸行無常といいますが、

死にかぎらず、事故や天災、病気など、

予期しないことが起きるのが人生

というものです。

予期しないことが起きるのが人生ですから

死にかぎらず、事故や天災、病気などでも

せっかく得たものを

手放さなければならない日は来るものです。

また、それは今日かもしれませんし、

明日かもしれません。

そんなことを考えてみると、

お金、物、名誉などを追いかけて生きる人生に

どのような感想をもつでしょうか?

それは、必ず手放さなければならないものに

執着し、時間を使い、

エネルギーを使って生きる人生。

また、得れると喜び、

得れなければ落ち込むような

得るものに左右されている人生

と言ってもいいでしょうが、

自分がやりたいと心から思えることに

エネルギーを使わない

そんな人生だとしたら、

あした死んでも大丈夫だと胸を張れますか?

まず目を向けなければならないもの

欲があるのが人間ですが、

欲に支配されない生き方ができるのも人間です。

生活しなければ私たちは生きていけませんので、

確かに生活はとても大事なことですが、

視線を向ける先は物欲だけではなく、

あした死んでもいい人生とは、どんな生き方だ?

と考え、精神的な面に目を向けてみることは

人生にとって、

とても必要なことではないでしょうか?

例えば、智慧、真理、慈愛、感謝、などの

精神性を高め、心を磨くものに視線を向ける。

そういう生き方ができるのが、

人間だけだと思うわけです。

他の生き物は、修行がしたくても

修行をすることができませんが

人間だけがこの地球で、

心を磨いて生きていくことができます。

そしてその磨いた精神性は、

手放さなければならないものではなく

多くの人に手渡し続けることができるものであり、

そしてそういう生き方は、

生き方のスケールを問わず、

肉体が滅んでからも誰かに語られ、

誰かの中で生き続けていくものです。

人間は、二度死ぬ。

それは肉体が滅んだ時と、

全ての人から忘れられたとき。

などと言いますが、

肉体が滅びても、

後の世に恩を送り続けることができるのは

善きことに身を近づけながら、

思い切り生き抜いた人ではないでしょうか?