人がいる世界は3種類 その2

それぞれの世界の思考の違い

前回は、人がいる世界はざっくりと

3種類にわかれるということでした。

前回の記事です↓

人がいる世界は3種類 対比・欲望の大地、智慧の大地

今回は、その3種類の場所の特性を、

少し詳しく見ていきたいと思います。

すべての人は今いる場所の

考え方を基準にして、

考えたり判断しています。

例えば、対比・欲望の大地にいる人は、

誰かといつも比べたり、

欲望というフィルターを通して判断し、

また、智慧の大地にいる人は、

智慧の視点から、智慧のフィルターを通して

全てを判断しているわけです。

ですから、同じものを見ても

今いる場所によって、

それぞれ土台となる考え方が変わってくる。

ということが起きてくるわけですが

では、それぞれの大地にいる人は、

起きた出来事について、

どのように考えていくのかということを、

事例を元にして

思考の違いを比べてみたいと思います。

例)1 他人の喜びや幸せを知った場合

最初の事例は、

家族や友人や知人などの喜ばしいことや、

嬉しいニュースなどを聞いたとき、

それぞれの世界では、

どのような思考の土台を基準にして、

受け止めたり、考えたりするのか

という事例を検証してみたいと思います。

○対比・欲望の大地にいる人の場合

欲を満たすことに興味があり、

競い合ってまで我欲を満たそうと

毎日を生きていますので、

基本的に自分に関係のない他人の幸せは、

どうでもよかったり

あまり面白くなかったりします。

相手との利害関係の深さや、

起きた喜びの大きさによっても変わってきますが、

その喜びを

相手と同じように分かち合ったり、

自分の事のように共感したりすることは、

あまり得意ではありません。

気持ちレベルでいうと、

嫉妬をしたり、悔しいと思ったり、

自慢されたようで腹が立つ、羨ましい、

その幸せを少しでも分けてもらえるよう乞い願うなど、

考えるとイライラするので、

なるべく考えないようにする。

無関心を装う、などという態度を、

とることが多いのが特徴です。

○大きな川を渡る人の場合

この川を渡っている人たちは、

対比・欲望の大地の考え方に

染まっている自分や、

そこにいる人たちが好ましくないので、

対比の大地を出た人たちです。

ですので、

対比・欲望の大地の思考の特徴を

まだ持っていて、

それを手放したいと思っているが、

まだとらわれないほど

手放すことができていない。

そういう状態です。

例えば、自分にも他人にも

よくない結果を招くことになるような、

嫉妬などのエネルギーには、

いつも注意しようとしています。

ですが、注意しようとすることはできても、

今までの考え方の習慣が残っていて、

時には相手にそれをぶつけたりしてしまいます。

また、ぶつけないにしても、

表面的に喜ぶのではなく、

自分の事のように心から共に喜ぶことは

難しいということも理解できていて

そのように自然にできるように、

心を整えていこうと日々努力をしています。

ようするに、

気持ちや頭では理解できていても

日常では、

まだうまく制御できていない状態ですが、

日々、積み重ねていくことによって、

理想の自分に近づいていることは

実感できている。そのような状態です。

○智慧の大地にいる人の場合

感謝を知ることによって、

自分が十分幸せで、満たされていることを

知識レベルだけではなく、感覚でも体験し、

知っている人であり、

あわせて、「わたしと○○」というように、

分離して考えるのではなく

「わたしと○○は一体」という考え方が

できていますので、

自分の事のように相手のことを

心から喜ぶことができます。

それだけではなく、更に喜びが増えるよう、

幸せになれるよう助言や手助けをしたり、

応援や行動することができます。

例)2 いいことや善行を行う場合

ごみ拾いは幸せ拾いと言いながら、

ごみを拾ったり、

また、何かを支援すると

ボランティア活動にいそしむ方もいます。

その行為は悪いことではなく、

もちろん素晴らしいことなのですが

同じ行為であっても、

いる場所によってとらえ方が変わってきます。

少なくとも

「やらない善より、やる偽善。」とも言うように

やった方がいいことだとも思いますが、

ここでは、行為の是非に関する議論ではなく、

行為にまつわる思考の違いを

検証してみたいと思います。

○対比・欲望の大地にいる人の場合

基本的に我欲を満たすことが関心事ですので、

必要に迫られないかぎり、

ごみ拾いなどに関心が向くことはありません。

そうすることで

自分に何か利益があるのならやる。

また、

何か利益があることを願いながらする。

という感じです。

利益とは、「素敵な自分PR」をすることで

称賛や、何か利益を得ようとしたり、

行為を取り引きの材料にするとかです。

また仕方なくやるにしても損はしたくないので、

できればギブアンドテイク。

例えば、交通違反をしたかわりに

奉仕活動をするという感じでしょうか。

自分の利が目的ではない人は、

問題意識をもってやっているので、

活動をやっているPRをすることはなく、

また、活動の息も長いものですが、

利益からの行動であった場合、

目的が達成されればすぐにやめたり、

当然、利につながらない場合でも

すぐにやめてしまいます。

また、相手のためではなく、

わたしのためという、

自分中心的な思考で行為をするので、

やってほしいことは何かありますか?とか

何かお手伝いさせていただけることがありますか?

というスタンスではなく、

自分がやりたいことをしてあげようとします。

○大きな川を渡る人の場合

何か見返りを期待したり、

得するためにという気持ちがないことはありません。

ですが我欲を基準に行動をする習慣を

捨てようと思っているし、

そもそも善行というものは、

我欲にとらわれてするものではないことも

きちんと理解できています。

計算ではなく、

純粋に誰かのために行動できる方向を見据えて、

自然に何かお手伝いできますか?という行動を

自然にとれるよう、

思考を習慣化させているところです。

○智慧の大地にいる人の場合

ここにいる人が善行や支援をする場合、

自分も○○も同じという思考が土台ですから

むしろすることが自然な場合が多く、

何かのきっかけを必要とすることはありません。

そして、

していることをなるべく気づかれずに、

さりげなくしようとします。

基本的に、

させていただきありがとうございます。

というスタンスでもあります。

例)3 人からだまされうえに、ひどく傷つけられた場合

人間生きていれば、いろんなことがありますが

ダマされたり、傷つけられたりすることも

よくあることのひとつです。

嬉しいことやよかったと思うことであれば

受け止めることに対して難しくはありませんが

ダマされたり、傷つけられたりということを

受け止めることは、

それよりは難しいことです。

その事実に対して、

どのように受け止め方が変化するのかを

ここでは検証してみたいと思います。

○対比・欲望の大地に住む人の場合

ここにいる人に共通することは、

程度の違いはありますが

ダマされた、傷つけられたという事実を、

受け止めることに苦労するということです。

ダマされたり、傷つけられたりすることを

受け止めることに苦労するわけですから、

そのようなことが起きれば起きるほど、

人生が嫌になるということです。

次に共通していることは、

受け止める苦労の全てを自分以外の責任にします。

自分で処理ができないのであれば、

他にしてもらう以外に方法はないわけですから、

全てを他の責任にするしかありません。

思うようにならないことを

他人の責任にしてしまうと

人生を他の影響によって

翻弄されてしまうという生き方になります。

翻弄された人生が、面白いわけがありません。

ようするに「わたしが惨めなのは○○の責任」

という思考が、当たり前になり、

出来事やかかわった相手に対して、

悔しい、情けない、腹が立つ、

という感情を持ち、

相手を恨んだり、

復讐してやろうと思ったりもします。

そして、復讐のために仲間を集めたり、

扇動したりすることもあるわけです。

○大きな川を渡る人の場合

わがままやエゴってよくないよね。

と思っているし、

人を傷つけたり、ダマすことも

よくないことだと思っているのは同じです。

そして悔しがったり、

情けない思いや、怒りを持ったりするのも

対比・欲望の大地にいる人と同じなのですが、

すぐに、その怒りや悔しさを

相手に向けようとせず、

「わたしには、まったく落ち度はなかっただろうか?」

「わたしも気づかないうちに、わがままやエゴを出していたのではないか?」

「自分だけが正しいと、高慢な気持ちで出来事や人を見ようとしてはいないか?」

などと、冷静に分析する気持ちの余裕を持ち、

「そう言い切ることができないのに、相手だけを責めようとしていないか?」

と、自らを問う気持ちも

あわせて持っているのが、

ここにいる人たちです。

そのように考えるれるということは、

今の自分がどこにいるのか?と、

考えることが出来るいい機会になります。

また、怒りや情けなさなどの感情に

心を支配され、

どうにもならない状況になることも

少なくなってきます。

対比・欲望の大地の人たちのように

「ダマされた、傷つけられた」と、

出来事や感情にとらわれてしまうのではなく、

「わたしには、まったく落ち度はなかっただろうか?」と

ダマされた、傷つけられた、という出来事を

成長のきっかけにすることができるのが

ここにいる人たちの特徴です。

次回に続きます・・・

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