人がいる世界は3種類 対比・欲望の大地、智慧の大地

人がいる世界は、ざっくりと3種類

人が住んでいる世界は、ざっくりと3種類に分けられます。

住んでいるといっても、肉体的な世界ではなく、精神的な世界のことです。

どのようにわかれているかというと

「対比・欲望の大地」と「智慧の大地」

そしてその両方の大地の真ん中にある「大きな川」です。

今日はざっくりと、その説明をしてみたいと思います。

対比・欲望の大地とは

対比の大地とは、多くの人がいる場所であり、全ての人のはじまりの大地です。

いわゆる「考える心の大地」とでも言えばいいでしょうか。

考えるというのは具体的にどういうことかというと

全てを、わたしと○○というように分離して比べるということです。

なぜ分離して比べるのかというと、我欲というエゴを満たすためです。

私だけの欲を満たそうとすると、

わたしと誰かを比べて、わたしに評価が与えられそうな人と競わなければ

わたしの欲が満たせません。

ようするに、勝ち組ではありませんが、

わたしが勝ち、上位にいなければ、わたしだけの欲を満たすことはできないわけですから、

優劣、損得、勝ち負け、能力の有無、上下、区別といった感じで

○○とわたしを分けて考える判断方法が発達していきます。

ようするに「わたし」と「あなた」とを分離・分別する場所であり

自分の欲を満たすことを基準として、比べあい争いあう場所。

ようするに、動物的な人が住むのが対比・欲望の大地です。

このような状態なので、自分中心の大地とか

動物園などと、言ってもいいかもしれません。

対比・欲望の大地には苦がつきまとう

ここでは愛より、他を出し抜くことが要求されます。

この大地で幸せになろうと思えば、他をどんどん出し抜けばいいわけです。

ですが、他を出し抜き続けることなど、絶対に不可能なことであり

仮に一時的に誰かを出し抜いて、何かを得ても、

今度はその得たものを守らなければなりませんし、

まわりを見渡せば、誰を出し抜いてやろうかと考えている人だらけで、

気が休まる日はありません。

ここでしか生きれない人が自らを苦しめ、そして他も苦しめてしまうのですが

実はほとんどの人の始まりはここからです。

この対比の思考を超越する考え方を求めようとすることが

わたしを気が休まる日々へといざなってくれ、幸せを手にしていく第一歩になります。

対比・欲望の思考を超越する見方とは

全ての人は例外なくわがままです。

極端な言い方をすれば、生きるということは

わたしの場所を確保するために、誰かをはじき出すということだからです。

ですが、対比・欲望の大地にいる人は、

わたしだけは違うと考え、

わたしはわがままだということを認めようとしていないものです。

本来、我欲を元にして考える人は、全てわがままな人のはずです。

ですが対比の大地では、

他人を出し抜けば出し抜くほど「やり手」などと呼ばれ、

評価されます。

ですから「私は優秀であってもわがままではない」という考え方が

積み重ねられていきます。

その、わたしは優秀という考え方は、やがて、

「あの人がおかしい」という思考に変わります。

わたしは正しく、相手がおかしいのなら、

その先に待っているものは対立であり、相手を見下すという行為です。

そうなると、前述もしましたが、気は休まることはありません。

ですのでまずは、

「自分だけは正しく間違いないという思考の癖」を持っていることに気づき

それぞれ、自分がかわいいと思う度合いが違っていたとしても

わたしも自分がかわいい人間のひとりであるということを、

きちんと認識することです。

他人のわがままには簡単に気づくことができます。

ですが、自分のわがままにも気づけるようになることで、

他人のわがままを見る目が変わります。

わたしも自分第一なのだから、相手も自分が第一だよねと思えると

怒りも以前より、少し穏やかになるはずです。

少し穏やかになれれば、対立も少し遠のいていく。

人生とはようするに状況や環境ではなく、自分の問題であるわけです。

正義の戦い

「正義の戦い」という言葉を耳にすることがあります。

この言葉は、対比の思考というフィルターを元に、つくられた言葉ではないでしょうか。

対比のフィルターを取ってしまえば、

正義とは戦うことによって達成されるものではなく、

普段の生活の中にあるものです。

どういうことかというと

「対比・欲望の世界の正義」と「絶対正義」は言葉の意味が違います。

「対比・欲望の世界の正義」という言葉の反対には必ず悪がいます。

ようするに、対比の世界では悪がなければ正義は存在しないわけです。

言い方を変えると、悪をつくった時点で正義ができるわけです。

どういうことかというと、対比・欲望の世界には、

正義や悪に対する明確な基準はなく、

自分が気に入らないものが悪、

反射的に好意的なものは善になるという図式です。

そしてその悪と正義を決めている根拠は、

自分の都合であり、我欲というエゴです。

わたしがよければそれでいいというエゴを基準に、

悪や正義が生み出されていきます。

いじめの構図がいい例ですが、いじめっ子が要求することに一貫性はありません。

ようするに「絶対正義」とは違いますから、

時代や状況や気分によって絶えず変化します。

そのような自分の都合が善悪を決める

「対比・欲望の世界の正義」には、大義名分が必要です。

それが正義の戦いです。

絶対的な正義とは

また逆に「絶対正義」とは、時代も人種も文化も超越し、

全ての人が「そうだよね」と言えるものです。

いじめっ子も、いじめられている子も「そうだよね」と言えるものですから

そこには戦いなどありませんし、そもそも正義と悪で対立する必要はありません。

自己都合を通そうとするから、力が必要になります。

ようするに、正義の戦いのように、

実力行使をする必要がないわけですから、

「対比・欲望の世界の正義」と「絶対正義」は違うということなのです。

悪は悪、正義は正義であり、セットではなく別のものです。

冷静に考えれば「絶対正義」とは、

みんな「そうだよね」というものであり、

正義を構築するために、戦いはいらないわけです。

「愛と憎しみは一体」という言葉のウソ

「愛と憎しみはセット」などという言葉は、

この対比・欲望の世界にしかない、特有の言葉です。

これも正義の戦いと構造は同じですが

「対比・欲望の世界での愛」は、また意味が違ってきます。

対比・欲望の大地の思考とは、わたしと○○というように

分離して比べることだと前述しましたが

「対比・欲望の世界の愛」は、うちの愛と隣の家の愛とか、

以前付き合っていた人と、今付き合っている人を、

対比させることによって

嫉妬や怒り、不満や憎しみに発展したり

また、優越感や満足感に発展させるものです。

ですので少なくとも、セットになるのは憎しみだけではありません。

ですが本来、嫉妬や怒り、不満や憎しみなどという感情と、

愛という感情は全く別のものです。

また「対比・欲望の世界の愛」は、

わたしの欲を満たしてくれることが愛だと考えています。

ようするに「○○してくれないのは愛がないからだ」と考えたり

「○○してくれたら、○○してあげる」と、考えたりするわけですが

これは相手のことを考える以上に、自分の欲を満たすことを考えているゆえであり

むしろ、取り引きやビジネスと言った方が近いのかもしれません。

相手とわたしが一体だと考えることができれば

わたしのことと同じように、相手のことも考えることができるわけですし

取り引きやビジネスでもなく、比べることもないわけですが

わたしがそのように考えていると、やはり相手もそのように考えるものです。

愛は愛であり憎しみは憎しみです。

本来、愛と憎しみが一体であるわけがないのです。

大きな川を渡る人とは

二つ目の世界は大きな川です。

対比・欲望の大地と智慧の大地の間には、大きな川があります。

そしてその川の中には、対比の大地に別れを告げ、

希望の大地に向かう人たちがいます。

動物園から人間の世界へと、旅をしていくわけです。

その人たちは、対比・欲望の大地より、

住みやすい智慧の大地があることを知ってしまった人であり、

そしてそこに住もうと行動をしている人です。

まだ智慧の大地には至っていませんが、

智慧の大地にだんだんと近づいていくことが喜びになっていて、

旅を生涯やめない人がこの川の流れにの中にいます。

大きな川ですが、この大きな川の流れに入っただけでも、

対比・欲望の大地より居心地がいいので、

もう対比・欲望の大地に戻ろうとはしませんが、

まだ本当の意味で自分が住む場所を手に入れてない状態です。

智慧の大地に住む人

三つ目の世界は智慧の大地です。

全てが一体である、という感覚の一端をつかむことのできる世界です。

考えたり分けたり比べる大地ではなく、感じる大地、いわゆる心の大地のことです。

真実、慈愛、本当の幸せ、無条件、あるがまま、などで構成されている大地で

人が生きる本当の場所であり、目指す場所のことです。

またこの大地の中にも段階があるのですが、今回は書きません。

そして、ここにしか人間の本当の幸せはありません。

最後に・・

すべての人は今いる場所の考え方を基準にして、考えたり判断しています。

対比の大地にいる人は対比のフィルターを通し、

また、智慧の大地にいる人は智慧のフィルターを通して全てを判断しているわけです。

ですから、同じものを見ても人それぞれ思うことが変わってくる

ということが起きてくるわけですが

次回はそのあたりをもう少し、詳しく見ていきたいと思います。

人がいる世界は3種類 その2

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