自分のことを大切にしていますか? その2

なぜ、わたしたちは、

「わたしとあの人」という感じで

全てを分けて考えようとするのでしょうか?

この「わたしと○○」というように

わたしと○○を分けて考えるがゆえに

「わたしだけ」よければいいという、

「わたしだけ」の利益という考え方になり

優劣、損得という思考に

発展してしまうわけです。

仮に「わたしと全ては一体」という

考え方を土台にすれば

そもそも全ては一体なのですから

「わたしだけ」の利益という考え方が、

起きてくるはずがないのです。

主語が「わたし」ということは

私の事だけを考えた自己中心的な考え方

ということですから

「エゴイスト」と言っていいわけです。

分別知とは

このように「わたしと○○」という感じで

自分と他を分けて思考することを、

仏教では「分別知」といいます。

ようするに、自分とその他という感じで区別をし

自分に有利で、得なのはどっちか?と

「わたし」を第一に考える自己中心的な判断基準

ようするにエゴのことです。

そのように書くと少し抵抗がありますが、

人間も生き物ですから、

まずはわたしが生きていかなければいけません。

わたしたちはいつも、

あの人よりわたしを選んでもらおうと

ライバル会社とわが社や、

あの人とわたしを分けて考えています。

そしてそうすることが、

わが社やわたしの利益につながるわけですから、

言ってみれば分別知とは

「生きるための知恵」ということに

なるかもしれませんね。

そして多くの場合、

こういう知恵に長けた人のことを

「成功者」や「立派な人」などと

呼んでいるのではないでしょうか。

エゴとはどういうものでしょう

先ほど、分別知とは自己中心的な思考のこと、

ようするにエゴである。と、書きました。

また、経済的に豊かであり、地位や名誉もある

まわりが見て恵まれていると思う人。

このような人を多くは

「成功者」と呼んでいるとも書きましたが

そして多くの人は、

そのような人に近づいていくことが、

幸せだと思っているのではないでしょうか。

エゴの正体

では、エゴの元になっているものは

なんでしょうか。

先ほどは「わたしと○○」と

分ける思考が原因となっていると書きました。

「全ては一体」という考え方を土台にすれば

「わたしさえよければいい」という考え方には

発展しませんが、

「わたしと○○」と考えてしまうから、

「わたしさえよければいい」という

考え方になるわけです。

分別知を、簡単にいえば、

自分だけがよければいいという思考ですが

分別知で世の中を見ている人からすると

他人の喜びは、自分の嫉妬や怒りの原因に

なるものです。

それは、自分だけがよければいい。

という思考からですが、

その思考の裏には、欲求と執着があったりします。

わたしは願いが叶っていない、

だけどあの人は願いが叶い喜んでいる

と、嫉妬や怒りを覚えてしまうのは、

「わたしも○○を求めたのに、まだ叶えられてない」

という不満から、嫉妬や怒りを覚えるわけですが

その不満は、

わたしに対する執着心からきています。

もし、わたしさえよければいいという

気持ちがなければ

「わたしの願いは叶ってなくても、あの人と喜びを共に分かち合おう!」

と、思えるはずですが

逆に嫉妬や怒りをもってしまうのは、

「わたしを第一に考えること」に対して、

「執着している」状態だからです。

ようするに、その私に対する執着心が

エゴの元であるわけです。

そういう状態であればあるほど、

嫉妬や怒りなどの、嫌な気分になる感情を

自分で創造してしまいますが、

そうなると、

嫌な気分の時間が増えれば増えるほど、

幸せではない日々を

過ごさなければならなくなるわけです。

どのようにエゴと付き合うか

そのように考えてみると、

そのエゴをなんとかすれば、

少しは楽になれそうです。

エゴが手放せない場合、

「願いが叶ったよ」という報告を受けたあとに

「わたしが今、嫌な気分になったのは、この報告を聞いたから」

と、相手を責めるか

「あの人は願いをかなえたけれど、叶えることができないわたしは惨めだ」

と、自分を責めるか。ですから

エゴを手放すということが必要になってきます。

エゴを手放すといっても、

個性を手放すわけではありません。

個性は個性でいいわけです。

あるがままの自分を大事にできなければ、

唯我独尊にはなれません。

自分を「本当に」大切にするということは、

わたしさえよければいい、

わたしの仲間だけよければいい、

わたしの国だけよければいい。

という感じで、自己中心的にワガママに考える。

ということではありません。

仮にそのように考えたとしても

「わたしって素敵でしょ」と、

心から思えるはずがなく、

また逆に、

そのような人と深くお付き合いしたいとは

誰も思わないはずですから、

あるがままの自分も大切にできません。

ですから、あるがままの自分を認めて

唯我独尊になるために、

エゴという「利己的な思考だけ」手放すわけです。

エゴを手放す考え方

わたしたちは因縁によって存在するのであって

その因縁を取り除いてしまうと

「わたし」といわれる確かな存在などない

という考え方があります。

それがどういうことか、

少し説明してみたいと思います。

みなさん突然ですが、

わたしに自己紹介をしてみてください・・・。

・・・・・

・・・・

・・・

・・

・・

・・・さまざまに思われたと思いますが、

例えば、

年齢はいくつとか、どこに住んでいるとか

家族構成や仕事、または身長や体重など

いろんな言葉で

説明していただいたのではないかと思います。

それを少しかみ砕いてみると、

「わたし以外の何かに手伝ってもらわなければ、わたしを説明することができない」

と、いう事実が見えてくるのでは

ないでしょうか。

それをもう少しかみ砕いて言うと、

例えば

「子が産まれてくれたおかげで親になれた」

「会社があるおかげで、会社員と言えた」

「両親が東京に住んでいたから、東京出身です」

という説明が、はじめてできるわけです。

そして全ての人は、何かを使わない限り

「わたし」という説明ができないわけです。

例えばわたしたちは、

両親の縁(と行為という原因)によって、

この世に生まれてきました。

反対に言えば、両親の縁と因がなければ、

わたしたちは生まれてくることは

なかったわけです。

そして、ご両親にも同じように、

縁と因がありました。

加えて、そのまたご両親にも・・・。

これはどういうことかというと、

縁と因が脈々とつながって、

たまたま私がここにいるということであり、

さまざまな因と縁が複雑に絡み合い、

奇跡的に、この世にわたしは

生まれてきたわけです。

それが証拠に、全く同じ縁と因によっても、

全く同じ私が生まれるということはありません。

このように考えてみると、俺が、私がという

確かな存在など、どこにもないのです。

ただあるのは、奇跡的な確率でつながり

この世に生まれてきたという事実だけです。

ようするにと、

わたしだけの力で得れたものなど

何ひとつないのですが、

にもかかわらず、わたし、わたしと考え、

わたしが、わたしがと主張してしまうのが、

わたしたちなのではないでしょうか。

「わたしだけで得れたものなど何ひとつない」

こういうことがはっきりと見えてくると

「わたしだけ」という自我に対する執着が

減ってくると思います。

わたしに対する執着が、

少なくなってくるということは、

わたしと○○という、分別知が

小さくなっていくということです。

わたしと他を分けて考える、

分別知が少なくなってくるということは、

同時にだんだんと、

自分以外に対する感謝や共感が、

芽生えてくるということです。

感謝が増えてくると、

自然に優しさが湧いてきます。

わたしだけよければいいという

欲を達成するための

取引のために使う優しさではなく

自然に他に対して、

無垢な優しさをもつことが、

できるようになるのです。

自然に他に対して、

優しさをもつことができるということが、

自分を本当に大切にしている人である

という証拠になります。

わたしを大切にすることができるから、

他も大切にできるわけです。

そうなれば、少しづつ自他不二(自分と他人は二つにあらず。全ての人、物と、私を分けて考えない思考)

に至るようになり、

最後は怒りや嫉妬ではなく、

「ああ、そうか」と受け止めることが、

増えてくるようになります。

そして、苦を滅し、自由に生きる

そうなってくると当然ですが、

苦は少なくなってきます。

執着することが減るということは、

執着しているがゆえの、未来への心配や不安や

今を維持しようとすることなどに、

気を揉むことが減るということです。

そうなると、

減っただけ余計なことを考えなくて

済むようになるわけですから

減っただけ、自由に生きることができます。

考えてみると当たり前のことですが、

欲に支配されている状態と、

とらわれてない状態を比較した場合

執着が少なければ少ないほど、

「○○でなければならない」

ということが減るわけですから

当然ながら選択肢は増え、

自由になれることがわかります。

そしてもうひとつ、

わたしの評価を他の評価に、

依存しなくて済むようになります。

どういうことかというと、

わたしに対する執着が少なくなれば、

「わたしだけよければいい」という

エゴも減るわけです。

ということは、

満たされたいという行動が減るわけです。

全ての苦の原因は

「思うようにならない」ことですので、

「わたしは満たされたい」と

エゴを出し続けていれば、

思うようにならないことの繰り返しですが、

思うようにしたいという思考が減れば、

それだけ「思うようにならない」と

感じることが減るわけですから、

苦が減り、対人関係は楽になります。

最後に・・・

我欲やエゴというものは、

自分だけによいことです。

それゆえ、エゴを押し通そうとすると、

必ず誰かに我慢してもらわなければと考えます。

誰かを犠牲にする可能性があれば、

人の評価が気になるのは当たり前ですが、

このようなエゴに対する考え方が

できるようになってくると、

だんだんと苦から離れることができ、

自分も人生も好きになってくるはずです。

個性は手放さず、エゴだけを手放そうと生きる。

それが唯我独尊につながり、

やがては死を前にしても揺るがない

自尊感情につながっていくわけです。

長文にお付き合いいただきまして、

ありがとうございます。

ざっくりと書きましたので、

わかりにくいところも多々あると思いますが

ご了承くださいませ。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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